楽園の瑕

 

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   「やれやれ、 やっとおでましですか」

  執務室に姿を現わしたファビアスに、 リカルドはあからさまに嘆息してみせた。

 「終いに噂されますよ。 国王は正妃様を寵愛するあまり政務さえ放ったらかしにされる、 と」

 「だからこうやって出てきたではないか」

  本当ならあと2、3日は二人っきりで……

  ぼやくようにつぶやくファビアスにリカルドは呆れた目を向けた。

 「いいかげんにしてください。 いくらサラーラ様が可愛くても度が過ぎると思いませんか」

 「思わん。 大体俺はまだ新婚だぞ。 なのにゆっくりと二人っきりで過ごすこともなく、 こうやって

政務に精出しているなんておかしいと思わないか」

 「………それだけ好き勝手されてまだ言いますか」

 「俺が言いたいのは新婚らしくだな……っ」

 「一日にあなたが妃殿下の元を訪れる回数は少なくても5回以上です。 午前中に1、 2回、

昼はあちらで必ずお召し上がりになり、 午後もお茶の時間だなんだと2、3回はあちらに出向

かれてます。 その上、 夜はさっさと仕事を切り上げておしまいになる。 近頃では宮中の晩餐

会は最近何故開かれないのかと周辺の貴族達が申しております。 国王が正妃様との新婚

生活に夢中でそれどころではないと私は申し上げておきましたが」

 「それは………」

 「充分新婚生活を楽しまれているではありませんか。 その上昨日今日とじっくり二人きりで

お心の内を明かしあわれたはず。 サラーラ様も陛下にだんだんとお心を許されているご様子で、

何がご不満ですか」

 「………いい。 仕事を始めよう」

  問答無用とばかりに正論を述べるリカルドに反論する隙を見出せず、 ファビアスは肩を

落とすと机の上に積み上げられた書類に手を伸ばした。

  ここで無駄な時間を費やすよりもさっさと仕事を終わらせた方が早いと悟ったのだ。

  サラーラ………

  早く戻ってきてとベッドの中から自分を見上げたサラーラの顔が脳裏に浮かぶ。

 「………陛下、 鼻の下が伸びてますよ」

  愛しいサラーラの姿を思い出していたファビアスは、 リカルドの指摘にあわてて表情を

整え背筋を伸ばした。

 









 「……そう言えば近頃妙な噂を耳にしました」

  仕事をはじめてしばらく経った時、 リカルドが思い出したように言い出した。

 「噂?」

  黙って書類に目を通していたファビアスは、 その言葉に顔を上げる。

 「噂です。 出所はわかりませんが、 マナリスのことで……」

  マナリスという言葉にファビアスの目がすっと細くなる。

 「マナリス………もしやサラーラのことで何か?」

 「ええ。 戦時、 いち早く国を逃げ出したマナリスの貴族達がサラーラ様のことを知り、

密かに兵を集めていると。 マナリス王家の王子が生き残っているのですから王国を再建

できると考えたのでしょう。 その王子が今はタラナート王妃だとは一般には知られておりま

せんからね。 城内のどこかに幽閉されているのだと噂されております」

 「サラーラを担ぎ出してマナリスを再建する、 か………」

  ファビアスの表情が険しくなる。

  サラーラを担ぎ出す。

  すなわちこの国から、ファビアスからサラーラを奪い取ろうというのだ。

 「リカルド………」

  名を呼ばれた腹心はそれだけでファビアスの意を汲み取る。

 「至急噂の真偽を確かめております。 もし本当なら早急に手立てを講じねばなりません。

これ以上噂が広まるとこの国に潜伏している残党達も騒ぎだすやも知れませんから」

 「残党………ほとんど一掃したはずだぞ」

 「全てを片付けたわけではありません。 マナリスは古い国です。 だからこそ王家に対する

畏怖の念、 尊敬の念は強い。 国に残った民衆の大半はまだマナリス王家に心を残している

はずです」

 「……厄介だな」

  なんの武力も持たないとはいえ、 国の大半を占める平民は時として権力を脅かす危険な

存在にもなりうる。

  暴動という形で、 革命という形で。

  それを知っているファビアスは、 だからこそ民衆を刺激しない方法で父から国王の座を

奪ったのだ。

  兵を使い、 表立った戦になれば民衆達にも犠牲が出る。

  そうなれば、 たとえ自分が王位についたとしても禍根が残る。

  後々まで噂されるだろう。

  父を殺し王位を奪った簒奪者、 血に塗れた王座に座る王と。

  そしてその悪い噂は民衆の口から口へと伝わり、 他国の耳にも届く。

  そうなればこのタラナートは国として他国との親交も保てなくなる。

  孤立した国は自滅するのも早い。

  いずれこの国は国力が衰え、 他国の侵略を許すようになっただろう。

  そして滅亡。

  民衆とはそうした恐ろしい力をも持つのだ。

 「マナリス王家はそれほど国民に慕われていたのか」

 「故マナリス王は善王として国民の絶大な信頼を得ておりましたから」

 「そうか。 それではこのタラナートに悪感情を持っても仕方がないな」

 「サラーラ様を担ごうとするマナリス貴族達をかくまうくらいには」

 「全く厄介だな」

  ファビアスは思わず舌打ちする。

 「とにかく急いで事の真偽を確かめろ。 それからだ」

 「はい」

  リカルドが大きく頷く。

  しかし、 二人とも心のどこかで感じていた。

  この話は本当のことだろうと。

  そして、 それは外れていなかったのだ。

 







                   
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