楽園の瑕

 

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    誰……?

  思わず食い入るように二人を見る。

  女性は微笑みながらファビアスに近寄ると、 彼の腕にその白い手をかけた。

  ファビアスはそれを振り払おうともしない。

  女性を見つめたまま何やら話しかけている。

  その口元には笑みさえ浮かんでいるように見えた。

  誰なんだろう……

 「サラーラ様? どうかなされましたか?」

  じっと窓の外を見つめるサラーラの様子を変に思ったのか、 侍女のテスが声をかけてきた。

 「………あれは?」

  無意識にサラーラはその女性を指差していた。

  ファビアスと親しそうにしているその女性が誰なのか不思議に思ったのだ。

 「あ………」

  しかしテスが窓の外を見下ろして言葉を濁したことで、 その女性がただの人ではないことに

気付いた。

  もしかして、 思う。

  その時、 その女性がファビアスの胸に寄り添った。

  ファビアスも女性の肩に手をやっている。

  その光景にサラーラの目が大きく見開かれた。

 「サラーラ様っ 誤解されてはなりません。 あの方はモルディア様といって陛下のご親戚に

当たられる方で………確かに以前は陛下のご寵愛を受けておられましたが今は………」

  テスの言葉が胸に刺さる。

  寵愛。

  やはりあの女性はファビアスの………

  何故か胸が痛かった。

  なにやらテスがまだ話しかけていたが、 サラーラの耳にはもう入っていない。

  ただじっと寄りそう二人を見ていた。

  どこかから乳母の声が聞こえる。

  それはサラーラの心の中でじわじわと染みのように広がっていった。

 ”決して信じてはなりません………”

 









  庭に出ていたファビアスは、 背後からかかる声に振り返った。

  そこにはモルディアの姿があった。

  あいかわらず煌びやかに着飾っている。

  やれやれ、 と内心でため息をついた。

  式の後、 ファビアスの冷たい拒絶に一度は憤然として立ち去った彼女だったが、 数日もすると

また彼の前に微笑みながら現れるようになった。

  あの手この手でファビアスを誘惑しようとする。

  あまりにもあからさまなその態度に、 かえってファビアスは怒りも湧いてこなかった。

  ただ彼女のタフさに感心するだけだった。

  それほど妃の座が欲しいのか。

  ファビアスは心の中で冷笑する。

  モルディアの野望に気付いていないわけではなかった。

  寵妃としての地位を与えていた時から、 彼女はその野心を隠そうともしていなかったのだから。

  いや、 隠すということすら気付かなかったのかもしれない。

  彼女にとってファビアスの寵愛を得ることは当たり前のことだったのだ。

  今も自信に満ちた表情で自分を見ている。

  拒まれることを考えていない顔だった。

  サラーラを正妃とした時に彼女が怒り狂ったことは、 リカルドのそれとない話で耳にしていた。

  サラーラへの寵愛はもの珍しさからの一時的なもの、 今に飽きて自分の元に帰ってくると周囲に

言いふらしている事も。

  バカな女だと思う。

  ファビアスがモルディアの元に戻ることなどないというのに。

  今や彼女のその自慢の艶かしい容姿は、 自分にとって鼻につくだけだというのに。

  いつまでもそのことに気付かない彼女に憐れみさえ覚える。

 「ファビアス様、 何かお探しですの?」

  心の中でファビアスがそのような事を考えているとも知らず、 モルディアは艶っぽい笑みを

浮かべながらファビアスに近づいてきた。

  近くにいるはずの護衛のものがいない。

  大方、 彼女が追い払ってしまったのだろう。

  「妃に花を渡そうと思ってね。 一番あれに似合う花を探している」

  平然と言ったファビアスの言葉にモルディアの表情が一瞬変わった。

 「……そうですの。 では私もお手伝いいたしますわ。 男の方よりも女性の私の方が花には

詳しいかと存じますもの」

  そう言ってさりげなくファビアスに寄り添おうとする。

 「お妃様には白い花がお似合いなのでは? あの色の無い白い髪にはぴったりですわ、

綺麗な赤や黄色だとかえってあの白い髪が褪せて見えてしまいますもの」

  さも親切気に言っているが、 裏を返せばサラーラの容姿は華やかな自分には敵わないのだと

述べているのだ。

  ファビアスの口元が皮肉げにゆがむ。

 「………そうだな。 あれには毒々しい色やそこらにあるようなありふれた色は似合わない。

何にも染まっていない清らかな白が似合う」

  モルディアがありふれた女と暗に揶揄っているのだ。

  綺麗に化粧された顔が真っ青になる。

  怒りに震えそうな体を無理矢理押さえながら、 モルディアはぎこちなく笑みを浮かべた。

 「え、 ええ………そうですわね………あ…っ」

  そう言いながら、 わざと何かに躓いたようによろめくと、 ファビアスの胸にしがみついた。

  女性を無下に振り払うこともできず、 ファビアスはとっさに押しやろうと肩に置いた手を止める。

 「……確かにたまに味のない水を飲むのも口直しにいいかもしれませんわね。 でも水は味気

ないもの。 芳醇なワインの方がよっぽど味わい深く心地よく酔えるものだとは思いませんこと?」

  自分を拒否しないファビアスの様子に気を良くしたのか、 モルディアはそう言いながら豊満な

体を摺り寄せる。

  自分の自慢の肉体を武器にしようとする彼女の誘惑に、 しかしファビアスは少しも心を

動かされなかった。

 「かえって悪酔いしそうだ。 二日酔いの頭で政務は執り行えない。 国のため、 自分の健康の

ためにも俺は水を飲む方を選ぼう」

  そう言ってなおも体を摺り寄せるモルディアから体を引き離した。

 「……水なんてすぐに飽きてしまいますわ」

  自分の誘いを袖にされたモルディアが屈辱に体を震わせながら低くつぶやく。

 「水は全てのものにとって欠くことのできない大切なものだ。 ワインのような嗜好品とは違う」

 「………いずれ後悔されますわよ」

 「有り得んな」

  ファビアスはそう言いきると、 顔を真っ赤にして立ち尽くす彼女を置いて庭の奥へと歩いていった。









                     
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