楽園の瑕

 

36

 

 

 

    この国に来てからどれぐらい経っただろう。

  窓の外の風景は青々としていた緑色の木々が茶色を帯びた黄色に変わっていった。

  サラーラはぼんやりとしながら窓の外の日に日に寂しくなっていく景色を眺めていた。

 「どうした?」

  そんなサラーラの背後からファビアスが優しく腕を回してきた。

  いつの間に部屋の中にいたのか。

  ファビアスが部屋に戻ってきたことも気付かなかったサラーラは、 引き寄せられて腕の中で

ぼうっとファビアスを見上げた。

 「どうした? どこか具合でも?」

  ファビアスはぼんやりとしたサラーラの様子に眉をひそめた。

  あの、 ファビアスから逃げ出し、 乳母を殺されたときから、 サラーラは滅多に笑みを

浮かべなくなった。

  もともと多くなかった口数も減った。

  ファビアスが黙っていると、 ずっと何もしゃべらない。

  ベッドの上では乱れ甘い嬌声を上げるサラーラだったが、 それ以外ではクルシュを側に

置いたままぼんやりとしていることが多くなった。

  自分の身に起こった目まぐるしい出来事にまだ慣れないのだろう。

  ファビアスはそう思った。

  乳母が殺されてしまった傷もまだまだ癒えていない。

  強引に自分の妃にしてしまったことも一因だろう。

  だが、 ファビアスは後悔していなかった。

  いずれはそうするつもりだった。

  それが少し早くなっただけだったのだ。

  それに……

  ファビアスはサラーラを抱きしめた腕に力をこめる。

  あの時は怒りのあまり酷い仕打ちをした。

  それでもどうしてもサラーラを手放すことなど出来なかったのだ。

  なんとしても自分のものにしたかった。

 「サラーラ、 愛してる……」

  おとなしく自分に抱かれるサラーラの白い頬に、 ファビアスはそっと口付けた。

 







 「愛してる……」

  そうつぶやきながら自分に口付ける男の唇をおとなしく受け入れる。

  口付けされるだけで体がわななくほどの喜びを感じてしまうことに哀しさを覚える。

  もう自分の体はファビアスのものなのだと実感する。

  乳母が殺された時のことは今でもまざまざと思い出される。

  そのたびに胸が締めつけられるほどの悲しみに襲われる。

  乳母を殺したのは自分を抱くこの男なのだとわかっている。

  憎みたい。

  そう思いながらも、 男の暖かい腕に心が安らぐ。

  男に抱きしめられることに深い安堵感を覚える。

  もっと強く抱いて欲しくなる。

  以前と変わらぬ優しさを見せる彼に、 また心を開いてしまいそうになる。

  サラーラには自分がどうしていいのかわからなかった。

  わからないまま、 ただファビアスの腕に抱かれ続けた。

  じっと自分を見つめてくるサラーラに、 ファビアスが訝しげになった。

 「サラーラ? 具合でも悪いのか?」

  心配そうに尋ねる言葉にサラーラはゆるゆると首を横に振った。

 「熱は……ないようだが……」

  額に手をあててみるが、 ひんやりとした肌の体温が感じられるだけだった。

 「どこか痛いのか?」

  再度尋ねるファビアスにサラーラはまた首を振る。

  本当にどこも悪くなかった。

  ただ少し体がだるく感じられるだけだった。

  それはここしばらく続いていた。

  しかしそれも少し横になればましになる。

  疲れたのかも知れない。

  あまりにもたくさんのことがありすぎた。

  サラーラはファビアスに身を持たせかけた。

  大きな背中に腕を回してぎゅっと抱きつく。

  何も考えたくなかった。

  ただ、 この温もりを感じていたかった。

 「サラーラ?」

  ファビアスは突然しがみついてきたサラーラに驚いた目を向けた。

  自分から抱きついてきたのは久しぶりのことだった。

  嬉しさに思わず抱きしめる腕に力が入る。

 「サラーラ……」

  ファビアスはサラーラの体を抱き上げると、 窓辺に置かれた長椅子に腰を下ろし

その膝の上に細い体を乗せる。

  そのまま自分の顔の下に彼の頭を引き寄せた。

 「少し疲れたか?」

  優しく白い髪を撫でながら囁く。

  サラーラはファビアスに身をもたせてじっとした。

  髪を梳く感触が心地よかった。

  体にまわされた腕の温かさに、 自分が守られていると感じた。

  頬にあたる胸からとくとくとファビアスの心臓の音が伝わってくる。

  その音に誘われるように、 サラーラはそっと目を閉じた。 

  その夜、 サラーラの身を気遣ったファビアスは彼を抱こうとせず、 ただ腕の中に

抱き寄せたまま眠りについた。

  この国に来て初めてのことだった。









                   
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