楽園の瑕

 

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    式を終えた後、 部屋に戻るなりサラーラは意識を失った。

  緊張と恐怖に耐えきれなくなったのだ。

  糸が切れたようにその場に倒れ伏せるサラーラの体をファビアスはベッドに運び込むと

優しくその顔を撫でた。

  青ざめ、 血の気を失った顔で眠るサラーラは、 それでも美しかった。

  豪華な正妃の正装を身にまとい、 ふんわりと結った白い髪がサラーラの清楚な

美しさを引きたてていた。

  満足気な笑みを浮かべてファビアスはその白い顔に口付ける。

 「……俺のものだ。 サラーラ……これで、 お前の全ては俺のものだ。 どこにも行かせない。」

  ファビアスの心に、 サラーラをやっと手に入れたという喜びが湧きあがる。

  愛しさが募る。

  今すぐにでも抱きたい気持ちを抑え、 ファビアスはもう一度サラーラの頬を優しく撫でると

静かに部屋を出ていった。









  部屋の外ではリカルドが待っていた。

 「おめでとうございます。 陛下。」

  そう笑みを浮かべて祝辞を述べる腹心に、 ファビアスはフンと笑ってみせた。

 「皮肉か? それは。 強引なやり方だとでも言いたそうだな。」

  そう皮肉るが、 機嫌の良さは隠せない。

 「とんでもない。 心からお慶び申し上げますよ。」

  リカルドもファビアスの喜びはわかっているのか、 軽い口調で返した。

  実際、 良かったと思っているのだ。

  サラーラをこの城に連れてきたときから、 ファビアスのサラーラに対する執着は

並々ならぬものがあった。

  初めて見せるファビアスの夢中になる姿に、 心ならずも驚いた覚えがある。

  恋に落ちたのだとわかった。

  それまでのファビアスとは一変して、 穏やかな表情を見せるようになった。

  猛将と謳われた苛烈で冷酷な王子の姿はどこにも見当たらなかった。

  サラーラの行動に一喜一憂する姿がほほえましく思えた。

 幼い頃からずっと共に過ごしてきた大切な友人だった。

  王子と部下という立場はあれ、 自分に向けられた信頼と友情を疑問に思ったことはない。

  だから、 ファビアスの想いがかなえられたことを一緒に喜んだ。

  そして、 サラーラが一日も早くファビアスを受け入れてくれることを願った。

 「ファビアス様……」

  そこに一つの声が二人に割って入った。

  目を向けると、 一人の女の姿があった。

  ファビアスがあからさまに眉をひそめた。

  その様子に臆することなく、 モルディアは彼に優雅な足取りで近寄った。

  煌びやかな衣装に包んだ豊満な肉体を強調するように、 艶かしい仕種を見せる。

  赤く塗った唇が濡れたように光る。

  モルディアはファビアスに近づくと、 その宝石に飾られた手を彼の腕にかけた。

  濡れた目がファビアスを見上げる。

 「ファビアス様。 このたびはおめでとうございます。 ………でも驚きましたわ。

だってとても急なことだったのですもの。」

  その豊満な胸を押し付けるようにしてモルディアがファビアスに擦り寄る。

 「私、 とても寂しゅうございます。 毎夜毎夜ずっとあなたの訪れをお待ち申し

上げておりますのに………ファビアス様……」

  あからさまに誘う素振りを見せるモルディアに、 リカルドは苦笑を抑えきれなかった。

  ファビアスもそれに気付いたのか、 冷ややかな視線を送る。

 「それは悪かったが…………この通り、 俺もやっと妃を迎えた。 しばらくはあれで

手が一杯だろうな。 モルディア、 そなたの美しさに焦がれている男なら大勢いるだろう。」

  そう言いながら、 心の中に少しも欲望が湧いてこないことにファビアスは感慨深いものを

感じた。

  サラーラの清らかな美しさを知った後では、 モルディアのこれ見よがしな態度は

もはや醜悪にしか思えなかった。

  腕に押し付けられた豊満な胸や、 きつい香水の匂いが鼻につく。

  どうしてこんな女に欲望を抱けたのか、 今では不思議だった。

  モルディアはファビアスの言葉にさっと顔色を変えた。

  言外に他に男を見つけろと云われたのだ。

  恥辱に体がわなわなと震える。

 「………残念ですわ、 ファビアス様。 私、 ファビアス様を楽しませられたものだと

思っておりましたのに。」

 「確かに以前は楽しませてもらった。 おおいにな。」

  以前という言葉をことさら強調する。

  それは今は違うということだった。

 「……失礼しますわっ」

  モルディアは怒りに顔を真っ赤にすると、 さっとドレスを翻して立ち去った。

  胸の内は激しい怒りと恥辱にまみれながら。









 「やれやれ、 大変ですね。」

 リカルドが立ち去るモルディアの怒りもあらわな後姿に苦笑しながら言った。

 「彼女もさっさとわかればいいものを…………陛下の訪れがないのは寵愛がなくなった

のだということを。」

 「モルディアは気位が高いからな。」

  ファビアスも苦笑を禁じえない。

 「陛下も悪いのですよ。 あんな女に情をかけられるから。」

 「そういうな。 あれで閨は上手かった。」

  悪びれなく言うファビアスに、 リカルドは呆れた表情を浮かべた。

 「……陛下の方が悪人ですね。」

  ファビアスがふふんと笑う。

 「どうかな。 あいつも俺だけでなく色々な男達と楽しんでいたようだからな。 実際

俺との最初の時もすでに処女ではなかった。」

 「陛下の愛妾でありながら他の男とも通じていたというのですか?!」

  リカルドは信じられないという顔をした。

  タラナート国王、 モルディアにとってはまだ王子であった頃だが、 であるファビアスの

愛妾という立場でありながら、 別の男、 それも複数だ、 と通じていたというのも信じられ

ないことだが、 またそれを知っていながら平然としていたファビアスにも呆れる。

  ファビアスがモルディアに特別な感情を持っていなかったことがよくわかった。

 「…………嫌ですねえ。 私は相手は一人で充分ですよ。」

 「俺もこれからはそうだ。」

  首を振るリカルドに、 ファビアスが同意する。

  その顔は先ほどとはかわって真剣そのものだった。

  サラーラへの思いの深さがわかる。

  リカルドはそんなファビアスをほほえましく思いながら、 内心かすかな不安を

抱いていた。

  先ほどの去り際のモルディアの表情が妙に気にかかった。

  あの憎悪にゆがんだ顔。

  そしてモルディアの激しい気性。

  あのプライドの高い女がやすやすと引き下がるだろうか。

  ファビアスはすっかりモルディアのことなど忘れたかのように、 さっさと政務室へと

歩いていく。

  その後を追いながら、 リカルドは胸にわだかまるものを消し去ることが出来なかった。









                  
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