楽園の瑕

 

28

 

 

 

   「お願い……っ」

  冷たい目で自分を見つめるファビアスに向かって、 サラーラは何度も何度もお願い、 と

訴え続けた。

  ファビアスはただ無言で立っているだけだった。

 「サラーラ様っ」

  その時、 乳母が兵の手を振り切ってサラーラに向かって走ってきた。

  目には狂気の色が浮かんでいる。

  そして、 その手には鈍く光る短剣が握られていた。

 「サラーラ様……っ 逃げられないのなら……その男の手にまた汚されるくらいなら…

……ばあやがこの手で……っ!」

  そう喚きながらサラーラに凶刃を向ける。

 「ばあや…………」

  自分に向かって突き出される短剣を、 サラーラは信じられないという目で呆然と

見ていた。

  頭が自分の見ているものを拒否していた。

  乳母が自分を殺そうとするなど考えられなかった。

  立ちすくむサラーラに、 乳母が短剣を突き出す。

 「リカルドっ」

  ファビアスの鋭い声がした。

  ドスッ

  鈍い音がしたと思うと乳母の足が止まり、 ゆっくりと体がその場に崩れ落ちていった。

  眼前に迫った刃が自分を傷つけることなく落ちていくのを、 サラーラはただ呆然と

見るしかなかった。

  何が起こったのかとっさにわからなかった。

  自分の前で倒れる乳母の背に矢が突き刺さっているのを見て、 やっと乳母が

倒れた訳を知った。

  と、 同時にその意味を知る。

 「ば、 ばあやーーーっ!!」

  サラーラは叫びながら倒れた乳母に走り寄った。

 「ばあやっ ばあやあっ!! 目を開けてっ!」

  必死に名を呼ぶが、 閉ざされた乳母の目が開くことはなかった。

  すでに彼女は事切れていた。

  泣き叫びながら乳母に取りすがるサラーラの姿を見るファビアスの隣に、 弓を手にした

リカルドが近寄る。

  彼の放った矢がサラーラの命を救い、 そして乳母の命を奪ったのだ。

 「……ファビアス様、 サラーラ様は……」

  どうするのか、 と尋ねるリカルドの言葉を無視して、 ファビアスはゆっくりとサラーラに

歩み寄った。

  泣きじゃくるサラーラの腕をぐいと掴むと、強引に乳母の遺体から引き離す。

 「いやっっ ばあやっ ばあやっっ!」

  サラーラは必死に乳母の元へ戻ろうとするが、 自分の体にまわされた腕がそれを

許さなかった。

  ファビアスは泣き叫び暴れるサラーラを乱暴に抱えると、 馬の背にまたがった。

 「……その女の始末はお前に任せる。」

  ファビアスは乳母の遺体に顎をしゃくると、 リカルドに一言告げた。

  リカルドが承知というように頭を下げる。

  それを見ると、 ファビアスは馬の首を返して城への道を戻っていった。

 「ばあやっ!!」

  サラーラが悲痛な叫び声を上げながら、 ファビアスの腕から逃れようともがく。

  ファビアスは無言のまま、 離さないというようにその体をしっかりと抱きかかえた。









                  
戻る