楽園の瑕

 

26

 

 

 

    ファビアスは深夜遅くに城に戻った。

  本当なら帰城は明日になる予定だったのだが妙な胸騒ぎを覚え、 急いで仕事を全て

すませると、 夜になるからと身を案じて出立を明日にと進める臣下の言葉を押しきり、

馬を駆けて帰ってきたのだ。

  城に入ったファビアスは、 すぐに城内の異様なざわめきに気付いた。

  王の帰還に出迎えた人々の表情が何かが起こったことを示していた。

 「どうした?」

  尋ねるファビアスに、 重臣の一人が強張った顔で重い口調で言った。

 「サラーラ王子が城から姿を消しました。」

 「なんだとっ!!」

  目をカッと見開いてファビアスが怒鳴った。

  信じられない。

  出かけるときのサラーラを思い出す。

  あの時、 彼は自分が出かけることを確かに悲しんでいた。

  寂しそうに自分を見ながら、 早く帰るとの言葉に頷いた。

  それなのに……

 「サラーラ王子の乳母も共に消えております。 おそらく逃げたのかと……」

  逃げた?

  ファビアスの頭に血が上る。

  あまりの怒りに目の前が真っ赤になった。

  逃げたというのか。

  あの従順に自分に体を開き、 自分の腕に縋りながら愛撫をねだったあのサラーラが。

  遠乗りに出かけたのはほんの昨日だったというのに。

  あの時の彼は本当に自分に頼りきって、 明るい笑顔を見せていたというのに……

  あれは偽りだったのか?

  ファビアスの体が怒りに震える。

  周りにいた者達が、 ファビアスの激しい怒りを感じて怖れの色を見せる。

 「……探せ。」

  きしむような声で低くつぶやく。

 「探し出せっ! あの二人の足ではまだそう遠くには行っていない。 即刻兵を出して

あたりをくまなく探せっ! 必ず見つけ出せっ!!」

  ファビアスの怒鳴り声に、 重臣や兵士が慌てて散らばっていく。

  逃げるように去っていく兵士達の姿を、 ファビアスの隣にいた部下の一人リカルドが

思案気に見ていた。

  ファビアスの腹心の部下である彼は、 眉を何かを考えるように眉をひそめた。

 「……おかしいとは思いませんか。 どうして見張りもいた部屋からあの二人が

易々と逃げられたのか……。 彼らはこの城の内部はそれほど知らないはず。

ずっと部屋にいたサラーラ殿はもちろん、 乳母にしてもそんなに歩き回ることを

許しては……」

 「誰かが手を貸したと?」

 「はっきりとは言えませんが……」

  ファビアスは怒りを湛えた表情のままリカルドの顔を見る。

 「もし誰かが手を貸したとしても、 それは後のことだ。 今はサラーラを捕まえる

ことが先決だ。」

  そう言い捨てると、 身を翻して城の奥へと荒々しく歩いていった。

  リカルドはその姿を見送りながら、 深々と礼をした。

  サラーラの部屋の前に来ると、 クルシュが鼻を鳴らしながら部屋の扉を前足で

かいていた。

  くうん……

 主の不在を知っているのか、 哀しそうに鳴きながら何度も何度も扉に前足をやる。

  クルシュが城に残されている。

  ファビアスはそのことに新たな衝撃を覚えた。

  あんなに可愛がっていた犬を置いていったことは、 サラーラが本気で逃げようとして

いる証に思えた。

  そんなに自分は嫌われていたのか。

  心の中に憎しみにも似た怒りが湧き起こる。

  今すぐにもあの白い体をめちゃめちゃにしてやりたい衝動に駆られた。

 「……許さんぞ。」

  ぎりりと歯をきしませながら、 ファビアスはうなった。

 「サラーラ……俺から逃げるなど、 許さない。 必ず捕らえてその身に教えてやる。

俺から逃げられやしないと……お前は俺のものだと……っ」









                  
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