楽園の瑕

 

23

 

 

 

   「わ、あ……っ!」

  サラーラは一面に広がる緑に歓声を上げた。

  この国に連れてこられたとき、 馬車の窓からみた景色は一面の白い雪だった。

  それから1ヶ月ほど経った今ではすっかり雪は消えてなくなり、 全ては明るい緑色に

覆われている。

  所々に色とりどりの花が咲いている。

 「きれい……」

  サラーラは顔を輝かせて、 初めての外の景色に見蕩れた。

  ファビアスは素直に喜びをあらわすサラーラの表情をじっと見つめながら、 ゆっくりと

馬の歩を進めた。

  そこは城から少し馬を駆ったところに広がる草原だった。

  近くに小川が流れ、 遠くにはまだ雪に覆われている山々が見える。

  少し向こうには小さく森が見えた。

  城を出た時は、 初めて乗る馬に緊張と怯えから身を固くしていたサラーラだったが、

しばらくするとだんだん馬の背に慣れ、 ゆったりとファビアスの胸にもたれながら

周りを見る余裕が出てきた。

  気持ち良さそうに春風に白い髪をたなびかせながら目を閉じる。

 「気持ちいい……外ってこんなに気持ちのいいものなんですね。」

  幼い頃から部屋の外に出ることが滅多になく、 出たとしても城の中に限られていた

サラーラは、 初めての外の空気に嬉しそうに顔をほころばす。

 「楽しいか?」

 「はいっ」

  優しく訊ねるファビアスに、 サラーラはにっこりと笑いながら頷いた。

 「とっても。 ここに連れてきてくださって、 ありがとうございます。」

 「そうか。」

  ファビアスは目を細めてサラーラを見る。

  そして顔を下げると、 ファビアスを見上げるサラーラの唇にちょんと軽くキスをした。

  途端にサラーラが頬を染める。

 「ははは……さあ、 もう少し先でひとまず休憩だ。」

  ファビアスは明るい笑い声を立てると、 馬の歩を速めた。









  馬の背を降りたサラーラは、 目を見開いて周りを見た。

  見渡す限り、 色とりどりの花の野原だった。

 「うわあ……」

  興奮に頬を上気させながら、 サラーラは辺りを歩き回った。

  クルシュが嬉しそうに吼えながらあちらこちらと駆けまわっている。

 「サラーラ、 あまり遠くに行くな。 迷うぞ。」

 「大丈夫です。 だってほら、 あんなに遠くまで見渡せるんですもの。 どこからだって

ファビアス様の姿は見つけられます。」

  サラーラはそう言いながらもファビアスの側に戻り、 そっと服の裾を握った。

 「ん? どうした。」

 「あんまり広くて……どうしたらいいかわかりません。」

  少し心細げにそう言う。

  色とりどりの花々の咲くきれいな野原に大きな空に白い山々。

  それは本当に初めて見る自然の美しさだった。

  だが、 それは同時にサラーラの心に小さな不安をもたらした。

  今まで限られた場所でしか生活してこなかったサラーラにとって、 自然はあまりにも

大きすぎた。

  果てしなく広がる空にどこまでも続く大地。

  その中に立ったサラーラは、 自分の存在の小ささに初めて気付かされた。

  一人でいると、 自然の中に自分が取り込まれてしまいそうに感じた。

  それは今まで他人に大切に保護されて生きてきたサラーラが初めて味わった

孤独感だった。

 「そうか。 それではサラーラには一つ頼み事をしよう。」

  ファビアスはそんなサラーラの心境を知ってか知らずか、 細い体を引き寄せ自分の

腕の中に抱き寄せながら、 いたずらっぽく言った。

 「頼み?」

  腕の中でサラーラが首をかしげる。

 「ああ。 ちょっと座ってくれ。」

  言われたとおり、 草の中にちょこんと座りこむ。

  すると、 ファビアスはおもむろに身を横たえると、 サラーラの膝に頭を乗せた。

 「ファビアス様?」

 「しばらくこうしていてくれないか。 ……いい気持ちだ。」

  サラーラの膝枕で、 ファビアスは気持ち良さそうに目を閉じた。

  そんなファビアスを戸惑った目で見つめる。

  しかしその顔はだんだんと微笑みに変わっていった。

  風に揺れる黒髪にそっと触れる。

  手で優しく髪を梳くと、 ファビアスが心地よさそうな顔をした。

  髪を撫で続けながら、 サラーラは青い空を見上げた。

  白い雲がゆっくりと流れていく。

 「……外って広いんですね………」

  ポツリと言葉が漏れた。

  その声にファビアスの目が薄く開く。

 「世界はもっと広い、 そして色々なものがある。 ……いつかお前に見せてやろう。」 

  ファビアスの言葉にサラーラは綺麗な笑みを浮かべた。

  もう一度、 空を見上げる。

  もう、 先程感じた不安は消えていた。

  心地よい風が通っていく。

  サラーラは生まれて初めて、 自分が生きているのだと実感した。









                   
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