楽園の瑕

 

19

 

 

 

    行為の終わった後、 ファビアスは胸に引き寄せたサラーラの白い髪を手で梳きながら、

欲望の残り火がゆっくりと静まっていくのを感じていた。

  先ほどまで荒い息をしていたサラーラも、 今は穏やかな表情でファビアスの腕の中で

うとうととまどろんでいた。

  サラーラの髪を優しく梳いていた手がふと止まる。

 「ファビアス様?」

  優しい手の感触に気持ちよくまどろんでいたサラーラは、 不満気にファビアスの顔を

振り仰いだ。

 「サラーラ、 外に出たくないか?」

 「外?」

  突然問いかけられて、 きょとんとする。

 「ああ、 今日はいい天気だ。 遠乗りには絶好の日和だ。」

 「遠乗りって……馬に乗るのですか?」

  サラーラがかすかに眉をひそめる。

  それを見咎めたファビアスが、 身を起こしてサラーラの顔を覗きこんだ。

 「どうした。 馬は嫌いか?」

 「……わかりません。 乗ったことがないから……」

 「乗ったことがない?」

  サラーラの言葉にファビアスは驚いた声を出した。

  17にもなった人間が馬にも乗ったことがないとは信じられなかったのだ。

 「ほとんど外に出たことがなかったから……ごめんなさい。」

  ファビアスの機嫌をそこねたかと、 サラーラは身を縮めると小さな声でつぶやいた。

 「いや……お前が悪いわけじゃない。 そうだな、 外に出たことのない者が馬に乗る

はずがないな。」

  ファビアスは、 この少年の育った環境がいかに特殊だったかということを、 あらためて

認識し直した。

 「なら、 一度試してみるとしよう。」

 「でも……馬って大きいのでしょう?」

 「心配するな。 俺が一緒に乗ってやる。 怖くないぞ。」

  怯えを見せるサラーラの頬を優しく撫でると、 ファビアスはベッドから下りて服を身に

つけ始めた。

 「そうと決まったらすぐに準備だ。 ぐずぐずしていると日が暮れてしまう。」

  上機嫌で扉に向かい、 外にいた兵士に馬の準備を命じた。

 「お前の服も用意しないとな。 動きやすい物を。」

 「でも、 ファビアス様。 お仕事が……」

 「今日は休みだ。 王にもたまには休みが必要だろう。」

  いたずらっぽく笑うとファビアスはサラーラをベッドから引っ張り出した。

 「ファビアス様……っ」

  抱き上げられたまま唇を奪われる。

 「……早く準備しろ。 俺がまたベッドに引きずり込む前にな。」

  そう囁くファビアスにサラーラは真っ赤になると、 するりとファビアスの腕から抜け出して

湯殿へと駆けていった。 

 





 「遠乗りっ?」

  サラーラに呼ばれて、 隣室に控えていた乳母が悲鳴じみた声を上げた。

 「何てことを……いけません。 サラーラ様っ もしもお怪我などされては……っ」

  とんでもないと首を振る。

 「でも、 ばあや。 ファビアス様が一緒に連れていくって……」

 「あの男の言葉など聞いてはなりません。 何度も申し上げたはずです。 この国の

誰も信用してはならないと。 もしかしたら遠乗りに乗じてサラーラ様の身を危険に晒そうと

しているのやも……」

 「ばあや……」

  サラーラは目の前で激昂する乳母を途方にくれた目で見つめた。

  幼い頃からずっと自分を守ってきてくれた大切な乳母だった。

  しかし近頃の彼女はどこかおかしかった。

  毎朝ファビアスとの行為の名残を残すサラーラの体を憎悪のこもった目で見ては、

次の瞬間には泣き出す。

  と思えば、 止めど無く悪態をついては、 サラーラにこんこんと諭すように幾度も誰も

信用するなと言いつづける。

  いつかサラーラをこの国から救い出すと、 ぶつぶつとつぶやくこともあった。

  マナリスにいた頃のいつも穏やかだった頃とはすっかり変わってしまった乳母の姿に

サラーラは心を痛めていた。

 「ばあや、 大丈夫だよ。 ファビアス様は僕と一緒に馬に乗ってくれるって。 怪我なんて

しないから……」

 「いいえっ サラーラ様は今ではたった一人残されたマナリスの正当な王位継承者なのですよ。

そのことを煙たく思ったあの男がこの期にサラーラ様を亡き者にしようと考えても……」

 「ばあや……」

  サラーラはもはや何も言えず、 ただ哀しい目を向けるだけだった。

 「何をしている。 サラーラ、 行くぞ。 用意はできたのか?」

  そこへすっかり身なりを整えたファビアスが部屋の中に入ってきた。

 「ファビアス様……」

 「どうした。」

  泣き出しそうなサラーラに、 眉をひそめる。

 「ファビアス王っ サラーラ様は遠乗りになど行きませぬっ どうぞお引取りをっ」

  乳母がサラーラの前に飛び出して、 喚くように言った。

 「何……?」

 「ばあや、 やめて……っ」

 「サラーラ様に危害を加えるおつもりでしょうが、 そのようなこと断じて……」

 「何を言っている。」

  サラーラへの危害という乳母の言葉に、 ファビアスが顔色を変える。

 「……今、 何と言った? サラーラに、 この俺が、 危害を加えるだと……?」

 「ファビアス様……っ ごめんなさいっ 許してくださいっ ばあやは僕のことを

心配して……っ」

 「俺がサラーラの身を危険な目に合わせるとでも言うのかっ!」

 「ファビアス様……っ!」

  必死にサラーラは乳母に詰め寄ろうとするファビアスにしがみついた。

 「ファビアス様っ 僕、 馬に乗るから……っ ファビアス様と一緒に外に

出たいっ」

 「サラーラ……」

  叫ぶように言ったサラーラの言葉にファビアスの足が止まる。

 「ごめんなさい……ごめんなさい……ばあやを許して……」

  ファビアスにしがみついてサラーラは何度も許してと訴えた。

  涙を浮かべたその瞳に、 ファビアスはふうっと大きく息を吐くと、 その腕に

サラーラの体を抱き上げた。

 「ファビアス様っ」

 「いいだろう、 今回は見逃してやる。 ……お前の泣き顔には弱い。」

 「ファビアス様……」

  サラーラは嬉しそうに笑うと、 ファビアスの首にしっかりとしがみついた。

 「行くぞ。 余計な時間を取ってしまった。」

  ファビアスはサラーラの髪にキスをすると、 彼を抱いたまま部屋を出て行こうとした。

 「サラーラ様……っ いけませんっ!!」

  背後で乳母が悲鳴をあげる。

 「その女を部屋に閉じ込めておけ。」

  ファビアスは一転して冷たい目で乳母を見ると、 近くにいた兵士に一言命じた。

  そのまま大切にサラーラを腕に抱いたまま、 部屋を出ていった。



 







                  
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