Dear my dearest




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「………いいかげん、そのバカ笑いをやめたらどうだ」

 居間に落ち着いてからも笑いやまない悪友に、デュークは憮然と言った。

「いや……お前の眼もたいしたものだと思ってな」

「眼?」

「見た目もそうだが、なかなかいないぞ。あのような相手は。 お、お前があのようにあたふたと…

…くっくっく……まったく、いい趣味を……いや、いいものを見せてもらった」

 思い出しては込み上げてくる笑いを止めようともせず、アーウィンは笑い続けた。

 ますます憮然としたデュークは、さっさと用件を済ませて引き取り願おうと手を差し出した。

「………さっさと渡せ。持ってきたのだろう」

「まあ待てよ。そう急ぐな」

 しかしアーウィンはこの際、からかえるだけからかおうというのか、なかなか本題に入ろう

としなかった。

「まだお前とあの子の馴れ初めを聞いてないぞ。 どこで見つけた? 結婚したというからには

もう手をつけたのか? あのような子供を? お前が?」

 興味深々に聞いてくる。

「………お前、仮にも王族がそんな……下品だぞ」

 あまりにもあからさまな言葉に、デュークは嫌そうに男を睨みつけた。

「いまさら何を言っている。 お前からそのような言葉を聞くとは思わなかったぞ」

 散々一緒に遊んだ悪友の言葉など、何の戒めにもならない。

 アーウィンはしらっとデュークの言葉を聞き流した。

「で? どうだった? あの子は初めてだったのだろう? 何も知らない相手を自分好みに

育てていくというのはさぞかしいいものだろうな」

「アーウィン」

 見かねたエリヤが咎めるように言った。

「アーウィン、今日はそのようなことを話しにきたのではないだろう。ほら、侯爵が困っている

じゃないか。早く書類を」

 エリヤに咎められてはアーウィンも引っ込むしかない。

 しぶしぶと持参したものを取り出した。

 デュークはそんなエリヤに感謝の眼を向けた。




「………まずは、これがお前が最初に出した結婚許可の取り消しの申請書だ」

「ああ………」

 差し出された書類をデュークは嫌そうに受け取った。

 それを見たアーウィンがにやにやと笑いながら言った。

「そんな嫌そうな顔をするな。苦労したんだぞ。お前が早くとせかすから毎日あちらこちらと」

「仕方ないだろう。何しろあの時は早く結婚を解消したいと、、それしか考えていなかったのだから」

 手にした書類を見ながらデュークはため息をついた。

「まったく………もう少し早くちゃんとニコルを話していれば、な」

 このような無駄足を踏まなくてもよかったものを。

 自分でばかばかしくなる。

 結婚の取り消し許可が下りた途端にそのまた取り消しなど、前代未聞のことだ。

「で、こちらがその再認可の書類だ」

 そんなデュークを見ながら、アーウィンはもう一枚の書類を差し出した。

 受け取ったデュークは書類に目を落とし、ほっと息をついた。

 これで一安心だ。

 やれやれと思う。

「おい、自慢の顔が崩れているぞ」

 アーウィンの揶揄するような声も今は気にならない。

 頭の中はニコルのことでいっぱいだった。

 これでやっとニコルと夫婦だ。

 自然と笑みが浮かぶ。

「おいおい、大丈夫か?」

「うるさい、用事がすんだならさっさと帰ったらどうだ」

 早くこのうるさい奴を追い出して、ニコルと二人っきりになりたい。

 そして…………。

「………おい、何を考えている」

 気味悪そうにアーウィンがデュークを見る。

 それほどにデュークの表情は緩んでしまっていた。

 しかしそんなことにも気づかないほど、すでにデュークの頭の中は待ちに待ったニコルとの

甘い夜の時間へと飛んでいた。

 ………ニコルが屋敷から出て行こうとしていることを知る由もなく。











 少し前。

 ニコルはデューク達のいる居間の扉の前に立っていた。

 どうしてもデュークの口から本当のことが聞きたい。

 ……嘘だよね。デューク様が僕との結婚を取りやめるおつもりだなんて………他の人と

結婚するおつもりだなんて………。

 マイラから疑いようのない事実を突きつけられ、悲しみのどん底に突き落とされた。

 もうデュークのそばにいられない。

 そう思い、部屋を出た。

 しかし、それでもやはりデュークを信じていたかった。

 今朝もあんなに優しい目で自分を見てくれたのだ。
 
 見て、笑ってくれたのに………。

 嘘だと言って欲しかった。 デュークが好きなのは自分だけだと、そう言って欲しかった。

 縋るような思いでニコルはデューク達がいる居間へとやってきた。

 そして扉に手をかけたとき、中からアーウィンの声が聞こえたのだ。



「………これがお前が最初に出した結婚許可の取り消しの申請書だ」



 ………え?

 たった今聞いた言葉が頭の中に響く。

 取り消し、と。 そう聞こえた。

 結婚許可の………取り消し? ………僕と、デューク様……の……?

 頭の中が真っ白になる。

 やはり、マイラの言った言葉は本当だったのだ。

 デュークは自分との結婚を望んでいなかった。

「僕は……いらない、の……?」

 呆然と呟く。

 まだ何かデューク達が話しているようだったが、もうニコルの耳には入らなかった。

 打ちのめされた心のまま、ニコルはふらふらとその場を後にした。

 もう、ここにはいられない。 デュークは自分をいらないのだ。

 何も考えられない頭で、それだけが渦巻いている。

 ふらふらと歩いているうちに、ニコルはいつのまにか屋敷から外に出る扉の前に来ていた。

 出て行かなきゃ。

「……デューク様に嫌いだって、言われる前に出て行かなきゃ」

 それだけは聞きたくなかった。

 だからその前に出て行こう。

 ニコルは扉に手をかけた。

 と、

 ふと、足元を何かが引っ張っているような気がした。

 見ると、トートがニコルのズボンの裾をくいくいと引っ張っていた。

「………クウ――ン……」

 ニコルを見上げて、どうしたのだと言っているようだ。

 ニコルはくしゃっと顔を歪めると、震える手でトートを抱き上げた。

「………デューク様、僕を要らないんだって。 ……お前も一緒に行く?」

 ぎゅっと抱きしめると、トートがペロペロと頬を舐めてきた。

 まるで泣くなと言っているみたいに。

 ニコルはもう一度子犬をぎゅっと抱きしめると、今度こそこの屋敷から出て行く扉を開けた。

 そして、静かに外へと歩き出した。

 ニコルの背後で扉の閉まる音が聞こえた。

 それはまるで、デュークとの別れを宣告する音のようだった。