Dear my dearest

 

 

 

 

    ベッドに入ったニコルは、 しかし眠っていたわけではなかった。

  眠れなかったのだ。

  周りの環境が変わって緊張していたこともある。

  こんな立派な部屋で一人で眠るなど、 初めてのことだったのだから。

  しかし、 それよりも何よりもデュークのことが気になって眠れなかった。

  いつまでも起きて帰りを待っていようとするニコルに、 執事…カディスと自己紹介してくれた、 は

申し訳なさそうに今夜戻ってくるかどうかわからないからと休むように勧めた。

  そのままいるとかえってカディスに心配をかけそうで、 仕方なく部屋に戻ってベッドに入ったものの、

やはり眠ることはできなかった。

  初めてお会いしたんだからもう少しお話したかったな………

  帰ってきたと思ったら、 自分に話しかけることなく、 また慌ただしく出ていってしまったデューク

の姿を思い出す。

  すごく、 素敵だったなあ……本当に王子様みたい……

  昔、 母が読んでくれたお話に出てくる王子様のようだった。

  兄と二人、 どきどきしながら王子が様々な困難を乗り越えていく話をベッドの中で聞いたものだった。

  あんな人が本当にいるなんて、 思ってもみなかった。

  扉から彼が入ってきた瞬間、 周りがぱっと明るくなった気がした。

  それまで初めての家に来て、 それも結婚という人生で一番大きな出来事に不安と緊張で一杯だった

心が、 彼の姿を見てふわりと温かくなったのだ。

  僕、 あの人のこと、 好きになっちゃったのかな………

  彼の姿に胸がどきどきしたことを思い出す。

  いつまでも彼の姿を見ていたかったのに、 すぐにいなくなってしまった。

  それが寂しかった。

  お仕事、 大変なんだな……

  今夜帰ってくるのだろうか、 明日はまた会えるだろうか。

  会いたいな、 と思う。

  会って、 たくさんお話がしたい。

  彼の笑う顔が見たい。

 自分をその目を向けて欲しい。

  何よりもその声が聞きたい。

  頑張ろう。

  ニコルはベッドの上に座りこんで、 よし、 と気合をいれる。

  頑張って、 彼のことを手助けできるように、 少しでも疲れが癒せるように一生懸命尽くすんだ。

  お母様も言ってたもの。

  旦那様には一生懸命に心を込めてお仕えしなさいって。

  だから頑張ろう。

  その時、 邸の下の方からかすかなざわめきが聞こえた。

  もしかして………

 「帰ってこられた?」

  ニコルはぱっとベッドから飛び降りた。

  部屋を飛び出そうとして、 自分の格好に気付く。

  薄い寝着一枚だけの格好で人前に出るのは無作法だった。

 「着替えなくっちゃ……っ」

  慌ててクローゼット部屋に駆け出す。

  早く、 早くお迎えしなきゃ。

  お帰りなさいってご挨拶しなきゃ。

  いつも母が父の帰りを笑顔で出迎えていたことを思い出す。

  自分も奥様になったんだから、 母のようにお役目を果たさなきゃ。

  急くあまり、 服に足を取られて転びそうになりながら、 それでも何とか着替え終える。

  部屋を飛び出し、 ぱたぱたと廊下を走り階段を降りる。

  昼間ニコルがいた居間の扉の前に立っていたカディスが足音に気付き、 階段を駆け下りる少年の

姿を見つけて驚いた顔をする。

 「カディスさん! 侯爵様は?! 帰ってこられたんでしょう? 僕、 お帰りなさいって……っ」

 「ニコル様、 まだ起きていらっしゃったのですか?」

  自分を見上げるニコルに、カディスはうろたえた顔をした。

  デュークに会えるという期待に頬を紅潮させ、 目をきらきらとさせているニコルはとても

可愛らしかったのだ。

  このように自分の感情を開けっぴろげにする人間に会ったことのない執事は、 どう対応して

いいのかまたしても途方に暮れる。

 「だって、 僕お迎えするって……」

 「デューク様は疲れたから休むと先ほどお部屋の方へお入りに……」

 「え……」

  すでに部屋に入ってしまったのだと聞いて、 ニコルは落胆の表情を浮かべた。

 「僕、 またちゃんとご挨拶できなかったんですね」

  しょんぼりとする少年に、 カディスの方が慌てる。

 「ご心配なさらずとも、 明日にはお会いになれますよ」

 「でも僕ちゃんとお出迎えしたかったのに………お帰りなさいって、 言いたかったのに」

 「大丈夫ですよ。 デューク様はそのようなことお気にされていませんから」

  というか、 ニコルに出迎えられてもかえって不機嫌になっただけかもしれない。

  いや、 このお可愛いらしい姿を見ればどうかわからないが・・・・・・・・・

  至極面食いである主人の性格を考える。

  それもこれも明日になればわかることだ。

 「ニコル様、 もう今夜は遅いですからお休み下さいませ」

  再度部屋に戻るように勧める。

 「はい………」

  まだどこか納得いかないようではあったが、 ニコルは悄然としながら自分の部屋に戻っていった。