Dear my dearest
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その夜遅く、
デュークはしぶしぶ自分の邸に帰ってきた。 帰るつもりはなかったのだ。 ジェンナの所で一晩過ごすつもりだったのだが、 当の彼女が帰宅を勧めたのだ。 気心の知れた彼女には会う早々全てのことを打ち明けた。 伯爵令嬢だと思っていた花嫁が実は少年であったこと。 しかも到底自分とつりあうような容姿を持つ人間ではないこと。 会ったときのみすぼらしい格好から泥に汚れた様子まで全て、 腹立たしげに話すデュークに 彼女は大笑いした。 笑いごとではないと憤慨する彼を宥めながらも、 ジェンナの笑いは止まらなかった。 笑いに震える肩で彼女の艶やかなダークブラウンの巻き毛が揺れている。 「で? あなたそのまま彼を置いて邸を逃げ出してしまったの?」 「逃げ出したのではない! ちゃんとカディスに後を任せてきた」 「それを逃げたというのよ」 笑いすぎて零れた涙を手でぬぐいながらジェンナがデュークを揶揄する。 「それにしてもあなたともあろう人が今回ばかりは見事にしてやられたわね。 よっぽどあなたに 袖にされたのがくやしかったのね。 彼女」 「ふん。 大体義理とはいえ自分の息子に色目を使う女がどこにいる」 「あら、 最初から彼女の狙いはあなただったはずよ。 あなたが鼻にもかけないから仕方なく お父様に乗り換えたのよ。 どちらにしてもクレオール侯爵家の妻の座は女にとってとても魅力的 ですもの」 愛人というよりは悪友に近い彼女は、 言いにくいこともずけずけと言いのける。 そのきっぷの良さがデュークには気楽だった。 だからこうして何年も彼女と関係を続けているのだ。 「それにしてもだな………ああ、 もういい。 今日はこちらに泊めてくれ。 とてもじゃないが またすぐにあのみすぼらしい顔を見る気にはなれない」 「あらだめよ」 デュークの願いをジェンナはあっさりと断った。 「ジェンナ!」 どうしてだと憤慨するデュークを諭すように話す。 「今日はダメ。 今日だけはちゃんとお家にお帰りなさいな」 国王の手前、 花嫁を迎えた初夜から花婿が邸に帰らずに外泊をしたと知れたらまずい。 今夜だけでも自宅でおとなしくした方が良いと言う彼女は正しい。 デュ−クは、 だから気の進まぬながらも素直に彼女の言葉に従ったのだ。
帰宅したデュークをカディスが迎える。 深夜に帰宅した主人を咎める言葉はない。 しかしその顔は出かけよりもいささかやつれて見えた。 その疲れた様子に全てを彼に押しつけてしまった罪悪感がかすかに生まれる。 「………あれはどうした?」 仮にも自分の花嫁をあれ呼ばわりする主人をカディスはちろりと見る。 その目に非難の色が浮かんでいるように思えてデュークは居たたまれなくなる。 子供のころから自分の世話をしてきたこの老人には、 辣腕といわれているデュークも頭が 上がらなかった。 「お部屋でお休みになられています。 さすがにお疲れになったようで………デューク様が帰宅 されるまで起きて待っているのだとずいぶん頑張っておられたのですが」 「待っていた?」 「旦那様を起きて出迎えるのが奥方の勤めだそうです」 「は………………?」 カディスの言葉にデュークが間の抜けた声を出す。 聞きなれない言葉を聞いた気がする。 内容も内容だが………奥方が主人の帰りを深夜まで起きて待つなど、 夫婦別々に好き勝手に 過ごすことが普通の貴族の間では信じられないことだが、 それよりも…… 「旦那様………って私のことか? それに奥方って………」 「ご結婚されたのですからデューク様がニコル様の旦那様です。 そしてニコル様はデューク様の 奥方様、 当たり前のことです」 突き付けられた現実にくらりとする。 この私があの少年の旦那様! ………旦那様という貴族の中ではあまり使われない言葉にも 抵抗があるが、 それよりも何よりも自分と彼が紛れもない夫婦なのだと言われたことにあらためて 衝撃を受ける。 冗談ではない。 あのような少年と自分が………! 絶対にこの結婚を破棄して見せる。 デュークは心に固く誓った。
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