Dear my dearest

 

10

 

 

 

    まだ主人達が起きてこない早朝、 朝食の指図をしながら静かで平和なひとときを満喫していた

カディスは、 突然その一時を破られることとなった。

 「カディス様!! なんとかしていただけませんかっっ!!!」

  食卓に並べられたカトラリーを点検していたカディスは、 突然響いた大声に跳ねあがった。

  見ると、 馬番のボイスが困り果てた表情でテラスからこちらを睨んでいた。

 「ボ、 ボイス・……何事ですか。 そんな大きな声を出して………デューク様やニコル様が驚いて

起きてしまわれるじゃないですか。 お二人とも昨夜は遅かったのですから………」

 「そのニコル様ですっ!」

  執事の言葉をさえぎるように、 馬番は喚いた。

 「ニ、 ニコル様……? ………………ニコル様がどうかされたのですか?」

  問いかけながらもカディスはもやもやと嫌な予感が沸き起こってくるのを感じた。

 「一体あの方はどういう方ですかっ! わ、 私が朝の仕事をしていましたら、 いきなりやってこられて

手伝う、と…………」

 「なんですってっ!?」

 「鋤を持たれて、 ば、 馬糞を………っ」

  頭がくらりとする。

 「私がどんなにお止めしても一向におききにならず、 お手伝いするんだとおっしゃられて」

 「………それで今はどちらに?」

  眩暈を起こしそうになりながらも、 カディスはなんとか落ち着きを保とうとした。

 「………厩舎にわらを敷いていらっしゃいます」

  その言葉にカディスは厩舎へと飛んでいった。











 「おいしい? あはは……そんなに舐めないでよ。 ご飯はこっちだよ?」

  顔中を大きな舌でまさぐられながらニコルが大きな笑い声を立てた。

 「くすぐったいって、 ほら、 こっちだってば」

  手に持った人参を口元に差し出す。

  ニコルに甘えるように顔をすり寄せていた馬は大好物に気付いたのか、 ふんふんと鼻を近づけると

ぱくりと人参を口に入れた。

 「おいしい? そう、 よかったね」

  カシカシと人参をかみ締める馬に優しい目を向ける。

 「お前、 おっきいねえ。 僕、 お前みたいに綺麗な馬見たことないよ。 ねえ、 今度僕を乗せてくれる?」

  黒く艶やかな毛並みを撫でながら話しかけると、 馬はその言葉がわかるのかまた鼻面をすり寄せて

きた。

 「もうないよ。 人参はもうおしまい。 また持ってくるね」

 「ニコル様っ!!!」

  優しく馬の鼻面を撫でていたニコルに悲鳴のような叫び声がかかる。

 「あ、 カディスさん、 おはようございます」

  振りかえり、 そこに執事の姿を見つけたニコルがにっこりと朝の挨拶をした。

 「ニ、 ニ、 ニコル様……っ その馬からお下がり下さいっ それは気性が荒くて滅多に人を近づけない

馬でして………」

 「この子が?」

  なおも自分に甘えるように鼻をすり寄せる馬を振りかえる。

  黒馬は自分のことを言われているとも知らず、 ただニコルの顔をその長い鼻でまさぐり続けている。

  と、 急にその大きな口が開く。

 「ニコル様……っっ」

  黒馬がニコルを噛むのだと思ったカディスが悲鳴じみた声を上げる。

  が、 馬はニコルのふんわりとした髪をぱくりと口にくわえただけだった。

 「こら、 悪戯しちゃだめだよ」

  くいくいとひっぱられて笑いながら髪の毛を取り戻す。

 「ニ、 ニコル様………」

  人になつかないはずの黒馬がニコルに無邪気に甘える信じられない光景に、 カディスも後から付いて

来た馬番もただ呆然とその様子を見ているだけだった。

 「この子、 とっても綺麗ですよね。 名前何ていうんですか?」

  そんな二人に気付かないのか、 ニコルがにこにこと尋ねる。

 「はあ…………ダナン、といいます……」

  馬番が気の抜けた声で答える。

  彼も自分の目が信じられなかった。

  長年馬の世話をしてきた自分でさえ、 この馬には手を焼いていた。

  えさをやろうとすれば噛みつかれそうになり、 敷き藁を取りかえようとすれば蹴飛ばされそうになった。

  なのに、 この少年にはまるで子犬のように甘えてじゃれている。

 「………カディス様、 ニコル様って一体どのようなお方で………」

 「私が聞きたいくらいです………」

  馬番の問いかけに、 カディスは疲れたような声で答える。

  朝からもう、 一日分の疲れをどっと感じる。

  微妙に肩を落としながら、 執事はこわごわニコル達に近寄った。

  すぐ近くまで寄った時、 ダナンが気に食わないといった様子で鼻息荒く首を振った。

  その様子に執事の足がその場にピタリと止まった。

 「ニ、 ニコル様………邸にお戻りくださいませ。 そのようなことは馬番であるこの者の仕事ですので

あなた様がされることでは………」

 「でも僕お手伝いしただけです。 お家ではずっと僕が馬の面倒みてたんです。 といっても一頭しか

いなかったんですけど。 ここはたくさん馬がいるんですね。 僕、 乗ってもいいですか?」

 「そ、 それは結構ですが……しかし、 馬の世話はその者にお任せ下さい」

 「でも………」

 「その者の仕事を取ってしまうわけにはいきませんので」

 「………はい」

  カディスの諭すような、 しかし有無を言わせぬ口調に仕方なくニコルは頷いた。

 「今度その馬に乗せてくださいね」

  しかし、 戻り際にそう馬番に頼むことは忘れない。

  話しかけられた馬番はただぺこぺことお辞儀するだけだった。

  その後ろの方ではニコルが去る姿に気に入らないとばかりにダナンが前足で地面を蹴っていた。