Dear my dearest



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「お帰りなさいませ」

「………ああ」

 城から屋敷に帰ってきたデュークは、出迎えの顔の中にいつもの顔がないことに首を傾げた。

「……? ニコル?」

 腰を痛めて動けないカディスがここにいないことはわかる。しかしニコルは………。

 まだ、そんなに遅い時間ではない。

 夕食の時間は過ぎてしまっているが、まだ寝るには早い時間だ。

 ……もしかして、また何か……。

 昨夜の大泣きの姿が脳裏に蘇る。

「冗談じゃあないぞ」

 デュークは顔を引きつらせて、階上のニコルの部屋へと急いだ。




「ニコル? 今帰ったよ?」

 そっとニコルの部屋の扉をノックする。

 返事があるかとしばらく待ってみたが、うんともすんとも答えがない。

「……ニコル? 入るよ?」

 まさか、また……?

 昨夜と同じ状況に、また同じ場面が繰り返されるのかと案じながら、デュークは

おそるおそる扉を開いた。

 が、

「……ニコル?」

「くうん……」

 そこにいたのは子犬のトートだけだった。

 ベッドの上から情けなさそうな鳴き声を出している。 主がいなくて寂しいのだ。

 デュークの顔を見て、短い尻尾がぶんぶんと振り回される。

「きゅうん、きゅうん」

「トート……お前だけか? ニコルはどうした?」

 ベッドに近寄って子犬の頭を叩くと、ぺろぺろと喜んで手を舐めてくる。

 そのまま仰向けにひっくり返った子犬を見下ろしながら、デュークははて、と考えた。

 こんな時間に一体どこに行ったのだろうか………。

 可愛い想い人の姿を思い浮かべ、落ち着かない気分になる。

 屋敷に戻ってきたら真っ先に会うのが常だった。

 いつのまにか、ニコルの顔を見ないことには落ち着かなくなってしまっている。

 自分でも重症だと思う。

 しかしこの気持ちはどうしようもなかった。

「ニコル……一体どこに……」

 この部屋以外にどこにいるというのか。

 そこではたと思いついた。

「そうだ………」

 デュークはベッドの上をコロコロ転がる子犬を後に、急いで部屋を出て行った。





「……やっぱりここか」

 扉を開けたデュークは、そこに少年の姿を見つけ出し、ほっと息をついた。

「これはデューク様、お帰りなさいませ」

 カディスが困ったような表情で、主に挨拶する。

「ああ……ニコル? 眠っているのか?」

 その彼のいるベッドの端に、ニコルが突っ伏すようにして眠っていた。

「何度もお起こししようとは思ったのですが……あまりに気持ちよさそうに眠っておいでなので」

「疲れたんだろう。昨夜もあまり眠っていないはずだからな」

 カディスの一件があり、結局満足には眠れなかったはずだ。 いや、その前も帰らぬ自分の

ためにほとんど眠れていなかったのではと推測する。

 デュークはそっと少年に近づくと、その顔を覗き込んだ。

 ぐっすりと眠っているようだ。

 気持ちよさそうに眠るその顔はまるで天使のようだった。

「とてもお疲れのはずです。 今日は一日もったいなくも私の看病をしてくださって、その上

私の仕事をお尋ねになり、ご自分にできることは、と……」

「そうか……」

 くるくると一生懸命に働き回る少年の姿が想像できる。

 ニコルはそういう子だった。

 デュークは愛しさをこめてニコルの髪を撫でた。

「ニコル……? こんな格好で眠っていると風邪をひいてしまうよ?」

 そっと声をかける。 が、返事はない。

「仕方ないな……」

 苦笑すると、デュークは少年の体をそっと抱き上げた。

「邪魔をしたな」

「とんでもございません。 私の方こそご迷惑を……」

「いい。 気にせずゆっくりと治せ」

 恐縮したように言う老執事にデュークは軽く頷いた。

 そしてニコルをその腕に抱いたまま、部屋を出て行った。

 その後ろ姿を見送ったカディスは、あ、と小さくつぶやいた。

「………お伝えすることを忘れていた……」

 先刻のニコルの発言。

「一言お知らせしておかねば。もしニコル様お一人の時にそのご婦人がおいでになったら……」

 デュークなら心当たりあるだろう。

 どの婦人のことなのか、わかればそれなりに対処してくれるはずだ。

「明日にでも必ずお知らせせねば」

 カディスはそうつぶやき、結婚してもなかなか女性関係に関しては安心させてくれない

主人を思い、ほうっとため息をついた。