Dear my dearest

 

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   「ニコル様、 もうお休みになられた方が……」

  カディスはじっと居間のソファにうずくまっているニコルに心配そうに声をかけた。

 「デューク様がお帰りになるまで待ってます」

 「しかしもう深夜過ぎております。 デューク様もお戻りになられるかどうか………」

 「だって、昨日必ずお戻りになるっておっしゃっていたのに……今日は僕と一緒にってそう

おっしゃっていたのに……戻ってこられなかった」

  そう、結局デュークは一日経っても戻ってこなかったのだ。

  一日中、 ニコルは彼の帰りをじっと待っていた。

  それに付き合い、カディスもいつまでも帰って来ないデュークを心配して、今にも邸を飛び出して

探しに行こうとするニコルを宥めるのに必死だった。 

 「ですからお仕事が………」

 「デューク様、やっぱり何かあったのじゃないですか? どこかでお倒れに……」

 「それなら報せの者が参ります。 大丈夫ですよ。 デューク様はそんな弱いお体ではございません」

 「でも……」

 「さあ、もうお休みくださいませ。 ニコル様の方がご病気になられてしまいます」

  それでも渋るニコルにカディスは優しく促がした。

 「明日は必ずお戻りになられます。 今までもこのようなことは何度もございましたので、そんなに

ご心配にならなくとも大丈夫でございますよ」

 「本当? デューク様、 いつもそんなにお忙しいんですか?」

 「………」

  実は女性の所を飛び回っていて帰ってこなかったのだとはとてもニコルには言えない。

  カディスは言葉の代わりに薄く微笑むだけに留めた。

 「………本当にデューク様、 明日はお戻りになりますか?」

 「ええ、 明日は必ずお戻りになりますとも。 ニコル様をデューク様がずっと放っておくはずが

ないではございませんか」

  もし戻ってこないようだったら人をやって無理にでも綱で引っ張ってでも帰ってきていただこう。

  カディスは密かにそう心に決める。

 「うん…………」

  しかしニコルはカディスの言葉にまだ不安げに頷くだけだった。

 「………ねえ、 カディスさん。 もしかしてデューク様、 僕のこと何か怒ってらっしゃるってこと

ありませんよね」

 「は?」

 「僕、 知らない間にご機嫌を損ねちゃうようなことしてしまったりしてませんよね」

 「まさかそのような………」

 「デューク様、 もう僕に飽きちゃったのかなあ………」

  ポツリとつぶやかれた言葉に、 カディスはもうその場にひっくり返りそうになった。

 「なっ……なっ……なっ……っ?」

 「僕、まだまだ子供で何も知らないし、 デューク様を喜ばせられるようなこと何も出来ないし、

一緒にいて退屈されたのかなあ……だから戻ってこられないのかなあ……」

 「ニ、 ニコル様……? それは……」

 「デューク様の周りっていっぱい綺麗な女性の方がいらっしゃるんですよね。 この間連れていって

いただいた劇場でもデューク様ずっと女の方達に声をかけられていて、 皆すごく綺麗な方達ばかり

で……」

  そんなことがあったのか。

  初めて聞いたことにカディスは内心ため息をついた。

  主人に対する女性達の人気が高いことはカディス自身、 毎日届けられる手紙の多さからも、

付き合いの多さからも充分承知していた。

  ニコルと結婚する前まではその女性遊びの派手さに、 頭を痛めてもいたのだ。

  だから主人が人の集まる場所に出た時にどのような状態になるか想像はできた。

  だからといってニコル様をお連れになっている時にそのような………

  ここにいない主人にたいしてもやもやとした怒りをおぼえる。

 「あの後デューク様は僕が一番だってずっと言ってくださったけど………夜も、 あ、あんな

ことしてくださったけど………」

  そう小さくつぶやきながらその時のことを思い出したのかニコルは真っ赤に頬を染めた。

  すでにカディスが目の前にいる事など忘れてしまっているようだった。

  完全に自分の思いに入り込んでしまっている。

  あんなこと………

  その様子を目の前で見ているカディスはなんと言っていいのかわからず、 ただ呆然と立って

いるだけだった。

 「………僕、 やっぱりちゃんとできなかったのかなあ……デューク様、 がっかりしたのかも」

  初めての経験はニコルにとっては信じられないくらい気持ちのいいものだったが、 よく考えて

みればデュークはどうだったのだろうと思う。

  あの後すぐに眠ってしまったので訊ねることもできなかった。

 「練習、 した方がいいのかな。 でもどうやって練習するんだろう………」

  だんだんとニコルの考えが危ない方向へと向かっている。

  もうカディスはただその場に立って顔色を赤くしたり青くしたりしていた。

  背中を汗がだらだら流れる。

  練習って……練習って一体何の練習をされるおつもりなのですかっ ニコル様……っ!

  心の中で悲鳴が上がる。

  思考力の限界を感じて眩暈を起こしそうだった。

  もう自分の手には負えない。

  そう観念する。

  デューク様、 お願いですから早くお戻りを………っ!

  ここにいない主人に助けを求める。

  ニコルを宥められるのはもうデュークしかいなかった。

  なにがなんでも絶対に明日お戻りいただこう、 首に縄を括りつけてでも無理矢理にでも!

  カディスはそう固く決心した。