Dear my dearest

 

 

 

 

    カディスが部屋に入ると、 ニコルは首を傾げてみせた。

 「あの…さっきの方……あの方が侯爵様ですか? 僕のお相手の」

 「は、 はい……さようで………」

  無邪気に問いかけられてカディスは引き攣った笑顔を浮かべるしかない。

 「僕、 ちゃんとご挨拶できなかったのでしょうか。 侯爵様、 何だか慌てて出て行かれて………

何か失礼なことしちゃったのかも………。 あ、 もしかして先にお茶飲んじゃいけませんでした?

僕、 とっても喉が乾いてて、 それにお菓子もたくさん食べてしまいました」

  いけなかったかと心配そうに話すニコルに、 カディスは慌てて首を振った。

 「とんでもございません。 お茶はニコル様のためにご用意させていただいたものです。 お好きなだけ

お召し上がりくださいませ。 ニコル様はもうこちらの奥方様なのですからそのようにご遠慮なさらず、

お好きなようになさってくだされば………」

 「奥方様? やっぱり僕って奥様になるんですか?」

  つい口走った言葉をニコルが照れたように受けとめる。

 「あんな立派な方の奥様なんて僕、 とっても驚いてしまって………あ、 もう一度ちゃんとご挨拶

しなきゃ……まだ侯爵様のお声も聞いていない」

 「ご、ご主人様に、 ですか………」

  どこに? と目で問われ、 カディスはまた額に汗が噴出すのを感じた。

  知らぬとばかりにさっさと出かけてしまった主人の後ろ姿を思い浮かべる。

 「申し訳ございません。 ご主人様はまた急な御用でお出かけに………」

 「お出かけになってしまわれたんですか? じゃあ、 僕お見送りしなきゃいけなかったんですね。

奥様なのに………それなのにこんなところでお茶なんか飲んでて……」

  失礼なことをしたとしょんぼりとする少年に、 執事の心がかすかに罪悪感に痛む。

 「いえ……ニコル様はまだこちらに来られたばかりです。 それにそのような事はなさらなくとも…」

 「でもっ 自分の旦那様がお仕事に行かれるのに知らん振りするなんてダメですっ」

  執事の言葉をさえぎるようにはっきりと言い切る。

 「こんな、 お家にもゆっくりできないくらいお仕事お忙しいのに、 奥様の僕が知らん顔で遊んでるなんて

申し訳ないです」

  いや、 仕事じゃなくて、 遊びに行かれたのですが……それも女性の所に……

  心の中でそう思うが、 まさかそれを目の前の少年……主人の花嫁に教えるわけにもいかない。

 「と、 とりあえずニコル様のお部屋にご案内いたします。 まずはそこでごゆっくりと……」

  早くこの場を去りたい……

  この珍妙な花嫁をどう扱ったらいいのかと内心悩みながら、 まずは部屋に放りこんでしまえと考える。

 「ニコル様のお荷物はこれだけですか?」

 「あ! だめっ!」

  部屋の隅に置かれた小さな荷物に手をだそうとするカディスを大きな声が差し止める。

  そのままカディスの側に駆け寄ると、 自分で荷物を手に取った。

 「ニコル様、 それは私が……」

 「いいんですっ お年寄りにこんな重いもの持たせちゃいけないんです。 お母様がいつもそう言って

ました。 お年寄りは大切にしなさいって」

 「と、 年寄り………」

  また眩暈を起こしそうになる。

  確かに自分はもう老体だが、 しかしだ。

  召使いの身体を心配して自分で荷物を運ぶ侯爵夫人がどこにいるというのだ。

 「ニ、 ニコル様……っ」

 「僕のお部屋ってどこですか? そんなに荷物もないし、 狭いところでいいですよ」

  口を出そうとする執事ににこにこと尋ねる。

 「狭………っ いえ、 ニコル様にはちゃんと花嫁様のためのお部屋をご用意させていただいております!」

  無邪気に話す少年には侯爵家に嫁いできたという緊張感は微塵も感じられない。

  まるでどこかの家に遊びにきたかのような様子に脱力感さえ覚える。

  デューク様! 私にどのようにお相手しろと!

  自分に少年の世話を押し付けた主人が恨めしく思える。

  もう半分やけになりながらカディスはニコルを2階の侯爵夫人用の部屋に案内した。