Dear my dearest

 

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   「お帰りなさいま……せ………っ?」

  カディスは戻ってきた二人を見て驚いた。

  出かける時、 あんなに嬉しそうにしていたニコルがデュークに抱えられるようにして帰ってきたのだ。

  しかもその目からは止まることなく涙が流れている。

  側にいるデュークが必死に宥めようとしているが、 ニコルはその言葉もろくに耳に入っていない様子だった。

  一体何があったのか。

  驚いた目で自分達を見る執事の姿にニコルを宥めることに必死だったデュークがやっと気付いた。

 「ああ………カディス……」

  途方に暮れた目で救いを求める。

  しかしカディスも何が起こったのかわからないままではなんともしようがない。

  それでも泣きじゃくる少年をそのままにしておけず、 そっと歩み寄って話しかける。

 「お帰りなさいませ、 ニコル様」

  カディスの穏やかな声にニコルがひっくひっくとしゃくりあげながらも顔を上げる。

 「カ、 カディスさん……」

  涙に濡れた顔が執事を見つめる。

 「はい、 お帰りなさいませ。 デューク様が何かお気に障ることをされましたか?」

 「お、 おい……っ」

  隣で何を言い出すんだ、 と言わんばかりの顔でデュークが執事を睨む。

  しかしカディスはその視線を無視してニコルに笑いかける。

  いつも元気なニコルが泣く原因など限られている。

  大方デュークがそうと知らずにニコルを悲しませることをしたか、 言ったかしたのだろう。

  この少年が心を痛めるのはいつもデュークのことばかりなのだから。

 「ちっ…ちがうの……侯爵様は悪くない……から……」

  しかしニコルは泣きながらも首を横に振ってみせた。 が、 不安そうにデュークに目を向けるその顔が

言葉を裏切っている。

 「ニコル、 何が悪かった? 店で何か嫌なことがあったんだろう?」

  そのことにデュークも気付いているのか、 涙の原因を何とか聞きだそうと言葉を尽くす。

 「……っ もしかして………」

  デュークははたとあることに気付いた。

  ニコルが泣き出す前にしたことと言えば………

 「もしかして……いきなりキスしたから、 か…?」

  その言葉にニコルがぱっと顔を上げる。

  みるみる真っ赤になる。

 「ぼ、 僕………僕、 お部屋で着替えてきます…っ!」

 「あ……っ」

  デュークが止める間もなく、 ニコルは身を翻すとそのまま階段を駆け上がって行ってしまった。

  階下にデュークとカディスのみが残される。

 「キス…のせい?」

  デュークはニコルの態度にやっと原因に思い当たる。

  そしてずんと落ち込むのを感じた。

  ニコルは自分とのキスを嫌がったのか?

  自分にはキスされたくなかったのか?

  嫌で……嫌で泣いてしまった……?

  「そんな………」

  考え出した結論にデュークは呆然と立ち尽くした。

  ニコルが自分とのキスを嫌がるなんて………もしかして自分は嫌われていたのか?

  ずっと彼を放っておいたから?

  全く見当違いのことを考え、 悶々と悩み始める。

  ニコルに嫌われていたなんて考えてもみなかった。

  彼はずっと自分に笑顔を向けてくれていたから。

  しかしあの笑顔は礼儀上だけのものだったのか………

  少年に嫌われている。

  そう考えるだけでおかしいほどに動揺する自分が不思議だった。

  どうしてこんなに自分はうろたえているのか。

  しかしそのことを考える余裕さえ、 今のデュークにはなかった。

 「カディス…! ニコルは私を嫌っているのかもしれない…」

  おろおろと側にいる執事に問いかける。

  だが執事は胡乱な目を向けるばかりだった。

  カディスにしてみれば、 デュークの言葉は馬鹿げたものにしか思えなかった。

  今までずっとニコルを見てきたカディスには、 少年がデュークを嫌うことなど決してありえないことを

知っている。

  少年の口から出る言葉といったらデュークのことばかりだったのだから。

  だが、 そのことを目の前の主人に告げるつもりはない。

  いままで散々少年を心配させてきたお返しは受けてもらわなければ。

  そうちょっぴり意地悪く思う。

  自分だって散々苦労させられたのだ、 二人の間で。

  それもこれもデュークがのらりくらりと責任から逃れようとしてきたからだ。

 「…………ご自分で何とかなさいませ」

  そう言ってカディスは中断した自分の仕事へと戻ろうとした。

 「何とか……どうしたら………」

  背後ではデュークが何やらぶつぶつとつぶやいている。

  どうやら主人はすっかり少年に心を奪われてしまったようだ。

  その場を立ち去りながら、 カディスは口元が綻んでしまうのを抑えることができなかった。