Dear my dearest

 

31

 

 

 

    カディスは邸に戻ってきた二人の姿を目にして仰天した。

  いつも泥だらけになって戻ってくるニコルはともかく、 その隣に平然と立っているのは………

 「デュ、 デューク様………そのお姿は………」

  つかの間凍りついていた執事がやっと口を開いたが、 その声は哀れにも掠れきっていた。

 「ああ………ずいぶん汚れてしまったな。 ニコルと一緒に馬の世話をしていたものだから」

  しかしデュークは面白そうにカディスの顔を眺めると、 肩をすくめるだけだった。

 「馬……馬の、 世話…」

  ショックのあまりその場に倒れそうになる。

  うまれてこの方、 これほど驚いたことはない。

  いや、 ニコルがこの家にやって来た時もずいぶんと驚かされたものだが………

  デュークが、 自分が小さいころよりずっとお育てしてきた侯爵がよもや馬番の真似事など……

  信じられない思いで一杯だった。

  だが現実にデュークは自分の目の前でニコルとにこやかにしゃべっている。

  そこからは自分の汚れきった姿を気にしている様子は少しも窺えなかった。

  あんなに自分の身だしなみには気を遣っていらっしゃったデューク様が………

  もはや声を出すことも出来ず、 カディスは呆けたように二人を見ているだけだった。











 「少しの間にずいぶんとニコル様と親しくなられたご様子で……」

  自室で着替えるデュークについていったカディスがため息混じりにつぶやく。

 「ん? ああ………なかなか楽しかったぞ。 馬の世話というのも面白いものだな」

 「それはそれは……」

 「こう、 ブラシをあててやるととても気持ち良さそうにするんだ。 私の腕もなかなかのものだと

ニコルが言っていた」

 「………」

  馬のブラッシングまで………

  カディスはまた眩暈に襲われそうになる。

  よもやクレオール侯爵家当主であるデュークが楽しそうに馬の世話の話をする所を見ることに

なろうとは………

  ニコルと一緒にいると皆が今までとは変わっていくようだった、 それでもデュークまで……

  ため息をつきながらも、 しかしカディスはそれを嫌がっていない自分を知っていた。

  あの少年はどうやら自分達の気持ちまで変えてしまったようだ。

 「それで、 どうでございますか? ニコル様はもうすっかりご機嫌を直されていたようですが」

 「機嫌? ああそうだな。 元気に厩舎を走りまわっていたぞ」

  ちょこまかと走りまわり、 デュークの姿に恐縮する馬番達に無邪気に話しかけていた姿を

思い出し、 笑みを浮かべた。

 「私が手を出したことで馬番達には悪いことをしたがな」

 「そうでございましょうとも」

  おそらく何事かとすくみ上がっていた馬番達の心中を思いやり、 カディスはまた深いため息を

ついた。

 「出来ればこのようなことは事前にお知らせ願えればと……」

  それでもやめてくれとは言わない。

 「そうだな。 これからはそうするとしよう」

  デュークの方でもこれきりという言葉は口にしなかった。

  確実に何かが変わっていた。









 「それでね、 侯爵様ってとっても力持ちなの。 僕が両手でやっと持ってた桶を片手でひょいって

持っちゃったんだよ」

  ニコルはベッドにころんと寝転がってあくびをしている子犬のトートに嬉しそうに話しかけていた。

  トートはニコル達が厩舎で働いている間ずっとこの部屋で昼寝をしていたらしい。

  ニコルが着替えに部屋に戻ってきたときにベッドの上から飛んで迎え出てくれた。

  ひとしきりニコルにじゃれ付くと、 後はおとなしくニコルが着替えるのを眺めていた。

  今はベッドの上で寝転がったり、 おもちゃにしているニコルの古い靴を噛んで遊んでいる。

 「お昼をいただいたら、 図書室で一緒に本を読んでくれるって。 侯爵様が僕くらいだった頃お好きだった

本を教えてくださるって」

  着替え終えたニコルはぱふんとベッドに寝転がった。

  トートがそれを見て近寄ってきて顔を舐め始める。

  ニコルはくすぐったそうにそれを受けながら、 うっとりと空を見つめた。

 「ねえ、 やっぱり侯爵様ってとっても素敵な方だよねえ。 お前のことも気にしてないって言って

くださったし、 厩舎でもすごく優しかったんだよ。 ずっと僕に笑いかけてくださってたし」

  目を閉じるとデュークの優しい笑顔が浮かぶ。

  お日様に金色の髪が輝いて、長身の体はとてもすらりとしていて厩舎の中でもふとした動きがとても

洗練されていて優雅で素敵だった。

 「僕、 侯爵様の奥様になれて本当に本当に良かった………」

  ほうっとため息をつきながらそっと囁く。

  ニコルの心の中でデュークへの想いはどんどん大きくなっていった。