Dear my dearest
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「侯爵様!」 水やりを終えたのか、 ニコルがテラスにいるデュークの元に走ってきた。 その後ろからは子犬のトートが短い足をちょこちょこと懸命に動かしながらついてくる。 「ニコル様、 お疲れ様です。 お茶を召し上がられませんか?」 「はいっ」 カディスの言葉に嬉しそうに頷くニコルの顔をデュークはじっと見つめていた。 泥だらけになった頬、 草木にひっかかったのか、 柔らかそうな髪はくしゃくしゃにもつれところどころ 葉がくっついている。 初めは綺麗だった洋服も今はすっかり泥まみれになっている。 そして同じく泥だらけになった子犬がその足に嬉しそうに戯れている。 今までに何度も見た姿だった。 しかし、 これまではただ薄汚い子供にしか見えなかった格好が今はそう見えない。 ニコルの素顔を知ったからだろうか。 泥にまみれていても、 ニコルの顔はきらきらと明るく、 そして可愛らしく見えた。 その顔がデュークに向けられる。 さらに嬉しそうに笑みが広がった。 自分に向けられた満面の笑みに、 デュークは何故かどきりとした。 な、 なんだ………? 突然胸がどきどきとしてくる。 なんだ、 これは。 どうして急に……… そんな自分にデュークは内心大いにうろたえていた。 「侯爵様?」 ニコルが不思議そうに自分を見つめてくる。 首をかしげる様子も可愛いな…… ふとそう思ってしまって、 また狼狽する。 可愛いだと? 何を考えているのだ、 私は……っ 「侯爵様? どうかなさったんですか?」 デュークの内心の混乱に気付かないニコルは、 自分が何か気に入らないことでもしたのかと 心細げな表情を浮かべた。 「な、 何でもない。 ………カディスがお茶を持ってきたぞ、 そこに座ったらどうだ」 少年の笑みが曇ってしまったことに気付いたデュークは、 目の端に執事がニコルのお茶を携えて 来るのを見て取ると慌てて向かいの席を指差した。 「はいっ」 ニコルはまたぱっと顔を輝かせると、 指差された椅子にちょこんと座った。 トートが抱いてくれとしきりに足を引っかくが、 ニコルはめっと首を振った。 「だめだよ、 そこにお座り」 しかし子犬はきゅうきゅうと鳴きながらなおも足にしがみつく。 「だめったらだめ。 お前、 お菓子食べたいんだろう? これは僕のだからだめ」 ニコルにきっぱりと拒絶されるが、 しかしテーブルの上からするいい匂いに子犬は諦めない。 ニコルがだめなら、 と、 なんとデュークの足元に駆けより、 その足にじゃれ付いた。 「うわっ!」 「トート!」 デュークの驚いた声とニコルの叫び声が重なる。 しかしその時には、 デュークの綺麗にプレスされたズボンには犬の足の形の泥がべったりと ついてしまっていた。 「………」 「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」 呆然と自分の足元を見るデュークに、 ニコルは不始末をした子犬を抱き上げると泣き出しそうな顔に なって謝った。 「侯爵様のお洋服が………ごめんなさいっ! 僕がちゃんとトート捕まえてないから……ごめんなさい、 僕、 そのお洋服洗ってきます!」 「え? うわ……っ い、 いいっ! いいから……っ!!」 いつも人一倍身だしなみに気を遣っているデュークは、 思いがけない災難に呆然としていたが、 少年が服を洗うと言って彼からズボンを脱がせようとするに至って、 はっと我に返った。 ズボンを下ろそうとする少年の手を慌てて押しとどめる。 冗談じゃない………っ! こんな所で………いや、 それよりも少年の手によって服を脱がされるということにデュークは 自分でも信じられないほど狼狽した。 「き、 着替えてくる……っ!」 無理矢理少年の手を引き剥がすと、 デュークはさっと立ちあがり、 そのまま部屋の中へと入って いった。 すぐに居間の扉が開き、 閉じる音が聞こえる。 「失敗しちゃった………侯爵様、 怒らせちゃった………」 自分に見向きもせず部屋を出て行くデュークの後ろ姿を見ながら、 ニコルはショックに今にも 泣き出しそうだった。 自分が何かまずいことをしてしまったのだと感じたのか、 子犬も少年の腕の中できゅうん…と 情けなさそうに小さな鳴き声を上げた。 その後ろではカディスが体を震わせながら必死に笑いをこらえていた。
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