Dear my dearest
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「ほんと? 本当にこれ、
僕の?」 ニコルは目の前の小さな塊に目を輝かせた。 その小さなものは、 庭師の差し出す手の中でもぞもぞと動きながらあんあんと小さな泣き声を 上げていた。 「うわあ………」 おそるおそる出した手の中にそっと乗せられる。 信じられないほど軽かった。 しかしほのかに伝わってくる温もりが、 その小さなものが確かに生きている事を教えてくれた。 「可愛い………っ」 頬を寄せると、 その生き物……茶色い子犬はふんふんとニコルの匂いをかぎ、 ぺろぺろと顔を 舐め出した。 「あはは……くすぐったい………この子、 僕のこと気に入ってくれたみたい」 「ニコル様を嫌う奴なんていませんよ」 嬉しそうに子犬を抱きしめるニコルの様子を庭師が目を細めて眺めながら言った。 笑うニコルは本当に可愛らしかった。 陽にあたった明るい栗色の髪が少年が動くたびに光を弾く。 興奮に薄く上気した頬がピンク色に染まり、 緑色の瞳はきらきらと輝いていた。 「名前、 なんてつけようかな………ねえ、 どんな名前がいい?」 両手で顔近くに持ち上げた子犬に真剣な顔で問いかける。 子犬の方はわからず、 ただ小さな尻尾をぴょこぴょこ振りながらニコルの顔を舐めまわすだけだった。 「あ………でもカディスさん、 僕が犬飼うの、 いいって言ってくれるかなあ……」 ふいに心配そうな顔で庭師を見上げる。 「大丈夫ですよ。 実はカディス様から頼まれたんですよ。 ニコル様が子犬を欲しがっておられるから 探してくれって」 庭師は悪戯っぽくウィンクしながら、 いつも仏頂面の執事がさすがにその時は照れくさそうに 自分にそう言った事を思い出す。 自分と同年代の執事とは長年一緒にこの邸で働いてきたが、 あのような彼の姿はほとんど見た 事がないと、 その夜、 驚きを込めて妻に言ったものだ。 「え………」 そう言えば、 2、3日前、 確かにカディスに何の気なしに言った覚えがある。 執事のベッドの傍らで読んでいた本に何匹もの犬と暮らす少年の話があったのだ。 それを読んで、 自分も犬が大好きなのだと言った覚えが。 カディスはそれを覚えていてくれたのだ。 「僕、 お礼を言ってくる!」 ニコルは子犬を抱えたまますっくと立ちあがると、 一目散に邸へと駆け出していった。 その後ろ姿を庭師は楽しそうに見つめていた。
突然部屋に飛びこんできたニコルに、 その場にいた執事と商人は飛びあがるほど驚いた。 「あ………ごめんなさいっ お客様だったんですねっ」 知らぬ顔があることに気付き、 慌ててニコルはその場を立ち去ろうとした。 「ニコル様」 それをカディスの声が止める。 「かまいませんよ。 ニコル様、 もう終わりましたから」 その声が常のものとは違い、 穏やかな温かさを含んだものであることに商人は気付いた。 カディスの声に、 ニコルは申し訳なさそうに振り向いた。 初めて間近にニコルを見た商人は、 その想像以上の美貌に目を奪われた。 「なんと………なるほど、 侯爵様が花嫁に迎えられたのがわかりますよ。 本当にお美しいですな」 思わず感嘆の声が上げる。 しかし、 当のニコルは自分のことを言われている事に気付かず、 ただきょとんと商人を見つめていた。 「ニコル様、 こちらはクレオール家御用達の商家のものです。 これからニコル様とも顔を会わすことに なると思います。 どうぞお見知りおきを」 「あ………ニコルです。 よろしくお願いします」 カディスの紹介に、 ニコルは慌ててぺこりと頭を下げた。 腕の中の子犬が合わせるかのようにくうん、と鳴く。 商人はその様子にまた驚いた顔を執事に向けた。 だが、 執事はかすかに笑って首を振るだけだった。 たかだか商人に、 それも平民に頭を下げる貴族など会ったことがない。 しかも相手はこの国有数の大貴族、 クレオール侯爵夫人なのだ。 「はあ………こちらで贔屓にさせていただいております商人のマルコーズでございます。 以後、 よろしくお見知りおきくださいませ………」 そんな身分の方に頭を下げられた商人は、 何と言っていいのかわからず、 ただ型通りの挨拶を 述べるだけだった。 「それで、 ニコル様、 私に何のご用で?」 紹介は終わったとばかりに、 カディスはニコルに話を向ける。 「あ、 そうだ! カディスさん、 この犬! カディスさんが庭師さんに頼んでくれたんでしょう? ありがとうございます! 僕、 とっても嬉しくって………こんな可愛い犬をいただけるなんて」 そう言って笑いながら腕の中の子犬に頬擦りする。 「それはようございました。 お気に召していただけて私もうれしゅうございます」 喜ぶニコルの様子をカディスが目を細めて見ている。 本当にこの邸も、 カディス様も変わったものだ……… その光景を傍らの商人マルコーズは驚嘆の思いで眺めていた。
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