Dear my dearest

 

13

 

 

 

    庭から明るい笑い声が聞こえてくる。

  その声に邸に出入りの商人と商談をしていたカディスはふと顔を上げると口元を綻ばせた。

 「しばらく顔を出さないうちに、 ずいぶんこのお屋敷の雰囲気も変わりましたね」

  滅多に笑わない老執事の笑顔に商人は目を止めると、 同じく窓の方に目を向けた。

 「………そうですね。 ニコル様が来られてずいぶんと賑やかになりました。 今までの静かで穏やかな

時間はなかなかとれなくなってしまいました」

  そう言う執事の目は、 しかし言葉とは裏腹に優しい光を放っていた。

 









  ニコルがこのクレオール家に来てそろそろ半月が経とうとしていた。

  あいかわらずデュークはニコルを避け続け、 滅多に邸に帰ってこない。

  帰ってきても深夜遅く、 もうニコルが寝てしまった後で、 次の日は彼が起き出す前か、 厩舎に

顔を出している間に出ていってしまう。

  まったくデューク様にも困ったものだ。

  外で女性と遊びまわっている主人を思い、 カディスはため息をついた。

 「それにしても、 侯爵様もずいぶんとお可愛らしい花嫁を迎えられたものですね。 私はまた侯爵様は

女性にしか興味がないのだとばかり思っておりましたが………遊びと結婚は違うということですかな」

  執事の胸のうちを知らず、 ましてやデュークの結婚の真相を知る由もない商人は朗らかに言った。

 「ニコル様はとてもいい方ですよ。 明るくてお優しい………この間は腰を痛めた私をずっと看病して

くださいました」

 「なんと……! 侯爵夫人自らがですか。 それはそれは………」

  商人は目を丸くして執事の顔を見た。

  驚くのも無理はない。

  貴族の奥方が、 それもこの侯爵家のような大貴族の奥方がいくら老人とはいえ目下の者の面倒を

見るなど思いもよらぬことだろう。

  驚く商人に頷きながら、 カディスは先週のことを思い出していた。

 







 「ニコル様………っ そのようなことはしてくださいますな。 私は大丈夫ですので………」

 「だめです。 カディスさんはちゃんと横になっていてください。 腰を痛めたときは無理をするのは

一番よくないんです」

  起きあがろうとするカディスをニコルの小さな手が押しとどめる。

  事の発端はカディスが頭上の壁にかかった蜀台に火をいれようとしたことにあった。

  背を伸ばし、 高い位置にあるそれに手にもった蝋燭から火を移そうとして、 突然腰に激痛を覚えた。

  そしてそのままその場にひっくり返ってしまったのだ。

  大きな物音に何事かと顔を出したニコル達が見たのは、 床に伏せたまま腰を押さえて呻く執老事

の哀れな姿だった。

  病名はぎっくり腰。

  そのまま下男の手によって自分の部屋のベッドへと運ばれた執事は、 まるまる1週間床から

離れることができなかった。

  今もあまり動きまわると腰が痛んで起きているのが辛い。

  それでも今日は出入りの商人が来るからと、 邸の財政を任されている執事は無理に起き出したのだ。

  心配したニコルが自分の部屋から両手一杯持ってきたふかふかのクッションが、 今椅子に座っている

自分の背中に柔らかくあたっている。

  ずっとベッドに寝ている自分をニコルはまるで身内のように親身になって世話してくれた。

  頼むから下男や召使いの者にやらせてくれと頼むカディスに首を振り、 せっせと食事を運んだり、

退屈だろうと傍らで本を読んだりした。

 「だって」

  侯爵夫人ともあろう方が使用人である自分のことを心配する必要はない。

  そう言ったカディスにニコルは神妙な顔で反論した。

 「だって、 カディスさんは侯爵様が小さい頃から面倒を見てきた人でしょう。 だったら侯爵様にとって

大切な人じゃないですか。 侯爵様の大切な人なら僕にとっても大切な人です。 それに僕、 カディスさん

のこと大好きだもん。 まるでおじい様みたいで………好きな人のお世話をするのは当たり前です」

  その言葉にカディスは自分の胸が温かくなるのを感じた。

  大切だと、 大好きだとこの少年は言ってくれたのだ。

  そして一生懸命に看病してくれるニコルの姿に心が和んでいくのを感じた。

  邸の者達もこの新しい小さな主人にだんだんと好意を持つようになった。

  ぱたぱたとまるで子犬のようにあちらこちらを走り回り、 無邪気に笑う少年の姿は、 皆の心を

不思議と和ませるようだった。

  腕一杯に洗濯ものを抱える下女を見れば自分も持とうと手を出すし、 薪割りをして額に汗している

下男を見れば冷たい水を持っていてやる。

  あの厩舎にもちょくちょく顔を出しているようで、 いつのまにか馬番とも仲良くなってしまっている。

  最初困り果てた顔で執事に助けを求めた馬番が、 今はまるで我が子を見るような優しい目で

ニコルと笑いあっている。

  厨房にもよく顔を出しているようだった。

  ベッドに寝ている自分の元に、 得意そうに料理の盛った皿を持ってきたときは驚いた。

 「僕が作ったんです」

  そう言って差し出された皿にはいい香りのするクッキーがたくさん盛られていた。

  侯爵夫人が…、 と絶句する執事に、 ニコルはにこにこと手にクッキーを取るとはいと差し出した。

  そのクッキーは甘く、 そしてとても美味しかった。

 「本当に、 ニコル様はとっても心の優しい方です」

  窓の外に目をやりながら、 カディスはそう微笑んだ。