Dear my dearest






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 再び屋敷に戻ってきたデュークはぐったりと疲れた体を椅子に沈めた。

 その表情は焦燥にやつれ、どこまでも暗い。

 結局、街中をいくら探してもニコルの行方は依然として掴めなかった。

 同じく戻ってきた使用人達も何も情報すら掴むことはできなかったという。

「一体どこに行ったんだ………」

 心配で心配で気が狂いそうだった。 今頃どこにいるのか、どうしているのか。 危険な目に会っているのではないか、と

いてもたってもいられず、椅子に座っては立ち上がり、部屋の中をうろついてはまた座り、と意味もない動作を繰り返す。

 一刻も早くニコルを探し出し、その体を抱き締めたい。 誤解を解きたい。 しかし、どこに行けばいいのわからないのだ。

「ニコル…・・・今どこにいるんだ……」

 こんな無力感を感じたのは初めてだった。

 自分の持っている力がなんの役にも立たない。金も力もこのようなときに効力を発揮してくれないのだ。

 いっそのこと………。

 デュークはまた椅子にどかりと座りながら自嘲気味に呟いた。

「やはり軍を動かすか……こうなったらもう体面も権限もあるものか。後のことは裏で手を回して周りを黙らせてしまえば

すむことだ」

 物騒なことを考える。

「おいおい……」

 その呟きを聞き咎めた者がいたのは幸いだった。 でなければデュークはそのまま実行に移しかねないほど心情的に

追い詰められていた。

 捜索から戻り部屋に入ってきたアーウィンは、親友の呟く声に大げさにため息をついて見せた。

「だからそれだけはやめろと言っただろう。 全くお前って奴は……」

 しかしデュークは忠告の言葉になど耳を貸すつもりはなかった。 親友の姿を見た途端、彼が口にしたのは今彼が

一番知りたいことだった。

「アーウィンッ 何かわかったのか」

「お前…………まあいいがな」

 恨めしそうにデュークの顔を睨みながら何か言いかけたアーウィンだったが、ふうっと首を振ると近くの椅子に腰を

下ろした。 

「………一つ情報を掴んだぞ。 ニコルらしき少年を見たという人間がいた」

「っ!」

 その言葉に顔色を変えたデュークは思わず椅子から立ち上がり、アーウィンに詰め寄った。

「いつっ? どこでニコル見たと? 今どこにいるとっ?」

「おい、少し落ち着けって…・・・……二、三刻ほど前らしい。 ここから少し離れたところだ」

 そう言って告げられた場所の名にデュークは眉を顰めた。確かにここからそれほど離れていない、しかしそこはあまり

治安のいい場所ではなかった。そのような所にニコルは一人でいたというのか。

 デュークの顔色が変わる。

「それでニコルは? ニコルは今どこにいると?」

「それはまだわからない。が、その者の話によると子犬を抱えたその少年に年配の男が声をかけていたらしい」

「男だとっ!?」

 今にもアーウィンを掴み上げそうな勢いでデュークは詰め寄った。

「私のニコルに男だとっ! 何者だっ 一体そいつはっ! 今どこにいるっ! ニコルにおかしな真似をしてみろっ 

私が八つ裂きにしてやるっ!」

「少し落ち着けって。 俺の話を最後まで聞け!」

 怒りに顔を真っ赤にするデュークに、アーウィンは心の中で盛大なため息をついた。もういい加減にしてほしい。

「男は少年を馬車に連れ込もうとしたそうだが……」

「連れ込むだとっっ!!」

 またデュークの怒声が上がる。

「話を聞けっ!!」

 ついにアーウィンの堪忍袋の緒が切れる。 いつまでこんな馬鹿騒ぎに付き合わなければならないのか。

 そもそも自分達には何の関係もないことではないか。 なのにわざわざ結婚許可証の再発行のために奔走し、

デュークの失態の尻拭いをして、その上家出したニコルの捜索にまで付き合い………考えると馬鹿馬鹿しくなる。

 早くエリヤとともに城に戻りたくなってきた。

 こめかみに青筋を立てたアーウィンは、デュークの口を自分の手で押さえるとぎろりと睨んだ。

「いいか。 これ以上俺の話の邪魔をするな。 とりあえず最後まで話を聞けっ」

「〜〜〜〜〜っ!!」

 まだ何やら言いたそうなデュークの口を塞ぎながら、アーウィンは一気に自分の知った情報を口にした。

「男は少年を馬車に連れ込もうとしたそうだが、その時一人の貴婦人が助けに入ったそうだ。 どうやらその少年の

顔見知りのようだったらしい。 その女は男を追い払うと少年と一緒に自分の馬車でどこかに去ったということだ。

その時、一人の青年も一緒に馬車に乗り込んだそうだ。 その青年は銀色の髪をした貴族の子息のようだったと」

 銀色の髪という言葉にデュークははっとアーウィンを見た。

 アーウィンも承知しているように頷く。

 この都広しといえど、銀色の髪を持つ貴族はそうはいない。 

「まさか、エリヤ殿も一緒か?」

 アーウィンの手を押しのけ、デュークはすぐにそう言った。

「おそらくな。 あいつの方が先にニコルを見つけたようだ。 とすると………その貴婦人というのは一体誰だ? 

心当たりないのか? お前、この都にニコルが頼れるような知り合いはいないと言っていたな」

「ああ。 しかし…………」

 デュークは自分の記憶を懸命に辿る。 

 ニコルが他の貴族と知り合うとすれば、自分と一緒に出かけた時。 いつだ? そのような場所に行ったとすれば……。

 はっとデュークは顔を上げた。

「いるのか?」

「いる。 一人だけ。 ニコルを知っていて、そして助けの手を差し出すようなことができる相手が」

 そうだ。 彼女なら街中でニコルを見つけたら必ず声をかけるだろう。 かなりニコルを気に入っていたようだから。

「ジェンナだ。 以前、ニコルを連れて行った劇場で彼女に会った。 彼女なら……」

 言いながら、すでにデュークの足は扉へと向かっていた。

 何故か確証があった。 ニコルは彼女のところにいると。

「おい待てっ」

 アーウィンもその後を追う。

 ニコルがそこにいるのならエリヤも一緒なのだろう。 このままデュークに置いていかれるつもりはない。

 部屋を飛び出した二人は、しかしそこで思わぬ足止めを食らった。

「デューク様」

 カディスがそこに立っていたのだ。

「カディス。 話はあとだ。 ニコルが見つかったっ 迎えに行くっ」

 なにやら言いたそうな執事に、デュークはそれだけ言って通り過ぎようとした。 が、カディスの言葉にその足が止まった。

「チェスター伯爵夫人からの使いの者が今こちらに」

「ジェンナが!?」

  今、話に出たばかりの人物の名を耳にし、デュークはアーウィンと顔を見合わせた。 

「伯爵夫人からのお手紙を言付かっていると」

「こちらに通せ」

 すぐさま使者がデュークの元に通された。

 その者から渡された手紙をざっと見たデュークは、手紙をアーウィンに放って寄越した。

「当たりだ。 ニコルはジェンナのところだ」

 そう言いながら、デュークの足はすでに外に向かって歩いていた。

「カディスっ! すぐに馬車の用意をっ! ニコルを迎えに行くっ!」

 その言葉を聞いた執事ははっと目を見開くと、急いで御者に指示を出しに向かった。

 その口元には安堵の笑みが浮かんでいた。