Dear my dearest






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 ウ〜〜………

 ニコルの腕の中から小さな唸り声が聞こえた。

「トート?」

 目を落とすと、トートが男に対する敵愾心をむき出しにして唸っていた。

「おやおや、その犬は私を気に入らないようだね」

 トートにちらりと視線を向け、男は口元を歪めて笑った。

「ご、ごめんなさい……」

 愛犬をぎゅっと抱きしめながら、ニコルはすまなさそうに小さく言った。

「いつもはこんなこと、しないんです。どうしてだろう……トート、だめだよ」

 窘めるが、子犬は一向に唸り声を止めようとしなかった。

 ますます唸り声は大きくなり、ニコルがどんなに窘めても聞こうとしない。

「トート、トート……だめだってば」

 必死になって子犬を宥めていたニコルは、だから男がいつの間にか自分のすぐそばまで

近寄っていたことにも気づかなかった。

「………近くで見るとますます綺麗な子だね」

「え?」

 耳元で聞こえた声に顔を上げると、男の顔がすぐ目の前にあり、そのあまりの近さに

ニコルは驚き戸惑った。

「あの………」

「行く所がないのだろう? どうだね。 私のところに来ないかね?」

「……え?」

「なに、悪いようにはしない。 ちょっと私を楽しませてくれればよいのだよ」

 楽しませる?

 言葉の意味がわからず、ニコルは顔を顰めた。

 わからないが、何か引っかかる。

 目の前の男は優しそうな笑みを浮かべている。 しかしその笑みがニコルにはどこか

嫌な感じに見えるのだ。

 だからニコルはふるふると首を横に振った。

「………いいです。 僕、もうちょっとここにいるから……」

 小さな声で拒絶する。

 一人こんなところに座り込んでいるニコルを心配して声をかけてくれたのだろうが、

しかし早くどこかに行って欲しかった。

 一緒にいるとだんだんと嫌な気分が大きくなるのだ。 

「そうか、それは残念だね」

 ニコルの言葉に、男はそう言って腰を上げた。

 立ち去ってくれるのだろう、とニコルはわからないように小さくほっと息をついた。

 が、次の瞬間、腕を掴まれはっとする。

「っ! な、何……っ」

「素直についてくれば、君にも良いようにしてあげたのにね。 残念だよ」

 そう言いながら、男はニコルをぐいっと腕の中に引き寄せた。

「嫌っ! 離してっ 離してくださいっ!」

 自分を捕まえる腕から逃れようとニコルは必死に身をよじったが、男の力はニコルよりも

はるかに強く、どうにもならない。

「離して…っ!」

 と、

 ウ〜、 ワンワンッ!

 ニコルの腕に抱き抱えられたままだったトートが一際大きく吼えると、男の腕にガブリと

噛み付いた。

「つっ! この……っ」

 痛みに顔を顰めた男は、もう片方の腕でトートを思い切り振り払った。

 ギャンッ!

「トートッ!」

 小さな子犬の体がニコルの腕から地面へと振り落とされた。

「トートッ! トートッ!!」

 真っ青になったニコルは地面に横たわる子犬に手を伸ばそうとするが、男に拘束され

身動きがとれない。

「ええい、大人しくしないか」

 何とか男の手から逃れようともがき続けるニコルに、男はちっと舌打ちしながら

近くの辻馬車を呼び止めた。

「ほら、乗りなさい。 乗るんだ」

「嫌っ! 離して! 誰か……デューク様っ デューク様っ!」

 無理矢理馬車に乗せられようとしたニコルは、必死に抗いながらここにいない大好きな

人の名を呼んだ。

「デューク様っ 助けて……っ」