trouble night

 

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 「え?」

  恭生は驚いた目で慌ただしく外出の仕度をする兄を見つめた。

 「ちょ、 ちょっと待ってくれよ、 兄さん。 今から出かけるって……帰りは?」

 「あ……っとごめん、 今からじゃあ明日になるなあ。 明日になったら父さんも母さんも帰ってくるから、 悪いけど

それまで何とかしてくれる?」

 「何とかって………」

 「大丈夫、 大丈夫。 今日来る予定のお弟子さんには稽古日の変更をさっき連絡したから。 それにこんな時間から

来る人なんて多分いないって」

 「だからって………逸生兄さんっ 待てってば!」

 「悪いね、 なるべく早く帰るようにはするから。 ジェフリー、 後よろしく」

 「兄さん……!」

  呼び止めようとする恭生を尻目に、 逸生はさっさと家を出ていってしまった。

  呆然と見送る恭生の後ろから、 ジェフリーがぽつりと口を開く。

 「行っちゃったね」

  その声にぴくりとした恭生がゆっくりと後ろを振り返る。

  恋人はじっと自分を見ていた。

  その目がキラキラと輝いている。

 「あ、 あのな………」

  何か言いかけた恭生の言葉をさえぎるように、 ジェフリーは恭生が考えまいとしていたことを口にした。

 「これで今夜は二人っきりだねv」

  その瞬間、 恭生はくらり、 と眩暈を起こしそうになった。











  逸生にその電話がかかってきたのは夕方も遅くなってからだった。

  優生はもう夏休みも終わりだからと最後の遊びとばかりに友達の家に泊まりに行った。

  恭生の両親は日舞の親睦会とやらで昨日から北陸の方に旅行に出かけている。

  いつもは家の中に一人や二人いる弟子の人達も、 発表会の後ということもあり、 皆それぞれ休みをとったり

用事で出かけたりと一人もいなかった。

 「僕達だけなんて珍しいよね。 たまには外食しようか」

  そう言って仕度をしているところだった。

  電話を取った逸生はしばらく何事か話していたが、 受話器を下ろすと申し訳なさそうに恭生達を見た。

 「ごめん、  夕食は二人で何とかしてくれる? 急に用事が出来て今から出かけなきゃいけなくなった。

なにか友人にトラブルがあったみたいで…」

  そして恭生が驚いている間に逸生は仕度を整えると外出してしまったのだ。

  恭生とジェフリー二人を置いて。









  二人っきり……こいつと今晩ずっと二人だけ………

  恭生の頭の中をぐるぐると言葉が回る。

  嫌なわけではない。

  恋人と二人っきりになれて嬉しくない人間がどこにいるというのだ。

  嫌なわけではないが……何故か素直に喜べなかった。

  その原因は………

  恭生はもう一度隣にいるジェフリーの顔をちらりと見上げる。

  その顔は突然の幸運に対する嬉しさと何か期待のようなものに満ちていた。

  何を期待するというのだろう。

  しかしこのアメリカ人が自分の想像を超える突飛なことを考えるのは承知済みだった。

  一晩ずっと二人っきり………一晩……明日父さん達が夕方帰ってくるとしても、 ほぼまる一日………

  嫌な予感がした。 







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