密やかな月
前編
「おやすみ、 いい夢を。」 アーウィンはそう優しく囁くと、 エリヤの頬に軽く口付けた。 そしてそのまま扉の向こうに出ていってしまった。 「……アーウィン…」 残されたエリヤは自分の居間の真ん中にじっと立ったまま、 キスされた頬にそっと手をやった。 その目は何かを思い悩むように沈んでいた。 小さな溜息をついて寝室へと向かう。 歩きながらエリヤの心は一つの悩みでいっぱいだった。 アーウィンと心が通じあって恋人同士になってからしばらく経つ。 恋人となった彼はとても優しかった。 毎朝よほどの用事がない限りエリヤの元に訪れ、 朝の挨拶とキスを贈る。 時間があればそのままエリヤと共に遠乗りに出かけたり、 森に出かけたり、 ただ庭を散策 しながらとりとめのない話をすることもあった。 部屋で二人だけで過ごすときもある。 そんな時はエリヤの奏でる堅琴を長椅子に寝そべって聞いたり、 本を読むエリヤの膝を枕に うたた寝をしたりする。 そしてちょっとした時にエリヤの頬や目や唇にキスをするのだ。 ふざけて首筋に口付けされたときには、 エリヤの体を甘い電流が走った。 しかしアーウィンはそれ以上何もしようとはせず、 笑ってエリヤを抱きしめただけだった。 彼は私を抱きたいと思わないのだろうか。 エリヤはこの頃時々そんなことを考える。 アーウィンが禁欲的なわけではないことは、 エリヤと恋仲になる前によく城下に女遊びに 出かけていたことを知っているので分かっている。 しかしアーウィンはエリヤの前ではそんな素振りをちらりとも見せない。 もちろん男同士ということもあるだろう。 女を抱くように簡単にはいかないことは分かっている。 エリヤもいざアーウィンに抱かれるとなると、 怖れが先に立つだろうということは予想ついた。 それでもアーウィンをじかに体で感じてみたい。 その思いは日に日に強くなっていった。 もしかしてアーウィンはそんな風には私を見ていないのか? ふとそんな思いが頭をよぎる。 まさかと考えを振り払おうとする。 しかしベッドに向かうエリヤの心には消しきれない不安がかすかに残っていた。 明日……明日アーウィンの顔を見ればこんな不安消えてしまう。 そう自分に言い聞かせながらエリヤは目を閉じた。
しんと静まり返った深夜、 ようやくうとうとしかけたエリヤは物音ではっと目覚めた。 ベッドの上に起き上がり部屋の中を見まわすと、 閉まっていたはずの窓が開いている。 「……誰かいるのか?」 思わず小さな声で誰何する。 「……エリヤ…」 その声にカーテンの陰から姿を現わしたのは、 アーウィンだった。 「アーウィンっ どうしたんだ? こんな夜中に……」 驚いて問いかけるエリヤの元に静かに近づいてくる。 その顔は何か思いつめたように強張っていた。 「アーウィン?」 恋人の様子がおかしいことに気付き、 エリヤが気遣わしい声を出す。 ベッドから降りて側まで近寄る。 近くで見るアーウィンの体はどこか緊張しているように感じた。 「アーウィン?」 何かあったのかとエリヤが手を伸ばす。 その手を捕まえ、 アーウィンはかすかに震える手で自分の口元に持って行った。 「……エリヤ……お前が欲しい。」 エリヤはその言葉に思わず目を見開いた。 「我慢したんだ。 急いでお前を怖がらせてはいけないと……でも、 もう限界なんだ。 自分を 抑え切れない。」 お前が抱きたい。 そう切ない声で囁いた。 初めてアーウィンの欲望に濡れた目で見つめられ、 エリヤの体を何か甘いものが走りぬけた。 その瞬間エリヤの心は決まっていた。 無言でもう片方の手も差し出す。 その手は小さく震えていた。 エリヤの仕種に自分の想いが受け入れられたことを悟ったアーウィンは、 喜びに顔を輝かせて エリヤを抱き寄せた。
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