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         「Dear my dearest」 番外編 

  








 テーブルにのったグラスの一つを手に取ると、カディスは日に透かし、汚れがないか確かめた。

 きらり、と綺麗に磨かれたグラスは朝日の光を弾いて光った。

 満足そうに頷くと、グラスをテーブルに戻す。

 白いクロスに覆われたテーブルの上は、いつものように完璧だった。

 カディスはもう一度頷くと、扉に目をやった。

 そろそろいらっしゃる時間だ。

 そう思った時、扉の向こうからパタパタという足音が聞こえてきた。



「おはようございます! カディスさん」



 元気のいい声と共に、ニコルが明るい笑顔で部屋に入ってきた。

「おはようございます、ニコル様。 今日もよいお天気でございますよ」

「はいっ だから僕、先にダナンのところに行ってきていいですか? 少し朝食遅くなって

しまいますけど」

「もちろんでございます。 ダナンも喜ぶことでしょう。 しかしニコル様、お腹の具合はよろしい

のでしょうか? 何もお召し上がりにならなくとも?」

 その時、ニコルのお腹が小さくクウ…と鳴った。

「……えへへ、やっぱりお腹すいてるみたいです。 先に食べちゃいます」

 お腹を手で押さえて恥ずかしそうに笑う。

 カディスはにっこりと笑って椅子を引き、ニコルを席に促した。





 朝食を終えたニコルが厩舎へと駆けて行くのを見送ると、カディスはさて、と食堂の扉を見た。

 主人であるデュークはまだ朝食の席に現れる様子はない。

 昨夜は宮廷で小さな問題が起こったらしく、その対処に追われ屋敷に戻ってきたのは深夜に

近かった。
 
 せっかく今日は休みだというのに、と、戻ったデュークがぶつぶつ文句を言っていたことを

思い出す。

 ニコルとゆっくり一日過ごすのだと言っていたが、おそらく今日はまだまだ起きてくることは

ないだろう。

 主人が休日でも、執事の仕事は山のようにある。

 カディスは今日一日の段取りを頭の中に思い浮かべながら、食堂を出て行った。

「カディス様。本日の郵便物が届いております」

 そこへメイドが手紙の束の入った籠を持ってやってきた。

「ああ、ご苦労」

 カディスはその籠を受け取ると、自分の仕事部屋となっているデュークの書斎の控えの間に

入っていった。





「………これはデューク様に。 これは……ああ、この間の仕立て屋の請求か。 またデューク

様はこのようにたくさん……これは皆ニコル様のお洋服ですか。では仕方ないですね」

 一人うんうんと頷くと、カディスはその請求書を処理用の籠へと入れた。

「これは夜会の招待状? 差出人は………ホール子爵夫人ですか。やれやれ、あのご婦人も

懲りないですね。デューク様はもうご興味を示されていないというのにまだこのような……」

 以前一度だけ、デュークが遊びで相手した女性だ。 まだニコルと出会っていない頃に。

 一度きり、デュークは興味失ってしまったのだが相手の方はそういかなかったらしい。

 何度も何度もこのように誘いの手紙を送ってくる。

「まあ、もう二度とデューク様がお相手することはありませんね。 ということは、これはデューク

様のお手元に。 と、これは………ああ、タリーニ男爵夫人ですか」

 タリーニ男爵夫人はデュークがずっと狙いをつけて誘いの手を伸ばしていた相手だ。

 付き合う前にニコルに本気で心を奪われてしまったため、結局そのまま何事もなく終わってしま

ったのだが………。

「はて、ここしばらくお誘いのお手紙もなかったのですが………」

 首を傾げたカディスは、眉間に皺を寄せて考えた。

「………そういえば、最近このご婦人のいい噂は聞きませんね。 あまりデューク様もお近づきに

ならない方が………それに下手にお会いになられて変な気を起こされてはなりませんからね」

 デュークの女好きは直ったわけではない。 それにこの女性とは結局付き合うまでにはいか

なかったわけで、デュークの興味が再発されては事だ。

「ニコル様を悲しませるような種はあらかじめ取り除いておくに限ります」

 カディスはそう呟くと、タリーニ男爵夫人からの手紙を自分の懐にしまいこんでしまった。

 あとでこっそりと処分するのだ。

 そうやって、カディスは山のようにあった郵便物を次々と片付けていった。





 郵便物の整理も終わり、仕立て屋への支払いの手配やその他屋敷内のこまごまとした仕事を

片付け、一息をついた頃、デュークが寝室から姿を現した。

「おはようございます、デューク様」

 半分嫌味をこめて言う。

 すでに日は中空まで昇り、時刻は昼近い。

 カディスの言葉にむっとしたような顔をしたデュークは、食堂の席につきながら辺りを見回した。

「ニコルはどうした?」

「厩舎でダナンの世話をなさっておりますよ」

「そうか」

 頷いたデュークがコーヒーのカップを持ち上げた時、ぱたぱたとテラスに足音が響き、

小さな人影が駆け込んできた。

「あっ デューク様っ! おはようございますっ」

 デュークの姿を見つけ、ぱあっと明るい笑顔になったニコルの言葉は先ほどのカディスと全く

一緒なのだが、しかしそこには嫌味の一片も含まれていない。 ただ純粋な挨拶だった。

「おはよう、ニコル」

 ニコルの挨拶に、デュークもにこりと言葉を返す。

「ニコル様もご一緒にお茶を召し上がられますか? もう朝食をお取りになってからずいぶん

時間が経ちますから少しお腹がおすきになったのでは?」

「うんっ デューク様と一緒に食べます」

「では、ニコル様の分もご用意いたしましょうね。 ちょうどコックが新しいパンを作ったところだと

申しておりました。 何でも生地にチョコレートを練りこんでみたとか。 お気に召されるとよろしい

のですが」

「わあっ 美味しそうっ! もちろんいただきますっ 後でコックさんのところにも行ってみますね」

 新しいパンと聞いて、ニコルはわくわくとした表情を浮かべた。

 また、作り方を習おうと考えたのだ。

 ニコルの明るい話声と笑い声で、食堂は楽しい雰囲気に包まれた。





 日が沈み、デューク達を寝室に見送り、最後に屋敷中の点検を終えてカディスの一日の仕事は

終わりになった。

 自分の部屋へと戻ったカディスは、ふうっとため息をつくと上着を脱いだ。

 そして、部屋の片隅になる机の引き出しから一冊のノートを取り出し、椅子に座る。

 真っ白いページを開き、少し考えると、おもむろにペンを走らせていった。


 ――― 本日は仕立て屋からの請求があり。 支払いの手配を済ませる。 新しいメイドが

やってくる。 紹介書はちゃんとしたもので、身元もしっかりしているので大丈夫だろう。 しかし

少し慌て者のようなので、しばらく教育の者をつけることにする。 庭師の一人が手に怪我をした

が、軽いものなので心配はない。 一応医者には行くように指示。 デューク様にはまだまだ

多数の女性からのお誘いがあり注意が必要………。


 ここまで書いたカディスは少し考え、またペンを走らせ始めた。

 今度は心なしか、ペンの動きが軽く早い。

 
 
――― 本日もニコル様はとてもご機嫌麗しく、そしてとてもお元気に屋敷内を走り回って

おいでだった。 コックが作った新しいパンをいたく気に入られたご様子なので 明日も作らせる

ことにしよう。 お茶の時間にニコル様はメロンがとてもお好きだとおっしゃった。 今の時期は

どこの産地がよいだろうか。 明日、業者の者に尋ねて早急に取り寄せるようにしなければ。

食卓にお出しすればさぞお喜びに…………。


 延々とカディスの日記は続いていく。

 そして、まるまる2ページも書いた頃、ようやくペンの動きは止まった。

 カディスは満足そうに自分の日記を見ると、パタンと閉じて引き出しに閉まった。







 こうして、これで本当にカディスの一日の仕事は終わったのだった。












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