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        「夜の扉を開いて」 番外






「久しぶりに外に食事にでも行くか?」

 珍しく、二人揃っての休日だった。

 溜まっていた家の雑用を済ませ、一息入れていると、ふと、瀬名生が言い出した。

 瀬名生の言葉に藤見が読んでいた本から顔を上げる。

「こんなに寒いと鍋が恋しいな。フグでも食べるか」

「フグ……ですか?」

「ああ、美味いフグを食べさせる店を知っている。……芳留はフグは?」

 食べたことあるか、と尋ねる男に藤見はかすかに首をかしげた。

「一度だけ。……でもあまり印象が……味が薄かったような、なかったような……」

「それは店が悪い。天然のフグはとても美味いぞ。よし、今夜はそこに決まりだな」

 驚くほど美味い鍋を食わせてやるよ。

 瀬名生はそう藤見に笑った。






 瀬名生が案内した店は、本当に美味しかった。

 薄く、本当に薄く切られたてっさを藤見は一口食べて目を見張った。

「美味しい……」

 引き締まった身とポン酢がとてもよく合う。

 柔らかく、それでいて適度にしまった身は魚の臭みがなく、とても上品な味だった。

 とろりとした白子、からりと揚がった唐揚げ、皮の湯引き、どれもとても美味しい。

 そして藤見が何よりも気に入ったのは、鍋の後の雑炊だった。

「こんなに美味しい雑炊は初めてです」

 頬を綻ばせて本当に美味しそうに食べた。

「そうか」
 
 藤見のそんな様子を見て、瀬名生も満足そうだった。

「他にも美味い鍋はいろいろある。また連れて行ってやるよ。これから何度でも」

 瀬名生のその言葉に、藤見はその日一番の笑みを浮かべた。





 体の芯まで暖まって、二人は店を出た。

 ぶらぶらと駅までの道のりを歩く。

 と、

「あ……」

 藤見が突然足を止めた。

「芳留?」

 じっと何かに見入っている彼に、瀬名生も足を止めた。

「どうした?」

「綺麗な色だと思って……」

 藤見が見ていたのはショーウィンドウに飾られた一枚のセーターだった。

 モスグリーンの色のそれは、とても温かそうだった。

「欲しいのか?」

「え?」

「お前にはもっと明るい色の方が似合うと思うが……この色がいいのか?」

 そう問いながら店の中に入ろうとする。

「ちょ……っ 貴士さん……っ 違う! 別に欲しいなんて……」

 慌てて瀬名生の腕を掴んで引き留める。

「ただ、綺麗だと思っただけで……第一この色は私には似合いませんっ」

 そう、この色が似合うのは……。

 必死に首を振る藤見に、瀬名生は残念そうな表情をした。

「遠慮しなくていいぞ」

「本当にいいんです」

 ただ見ていただけ、別に欲しくはないのだと言い張る藤見に瀬名生もやっと納得する。

 もう一度ちらりとショーウィンドウに目を向け、ふっと笑った。

「そうだな。お前にはこの色は似合わないな」

 そう言うと、行こうと藤見を促した。

 藤見はそれにほっとしたように頷き、彼の後に続いた。






 数日後、藤見は一人であの店に来ていた。

 店の前で幾度か逡巡し、やっと決心したようにドアをくぐる。

「……あの………」

「はい、 いらっしゃいませ」

 ためらいがちに声をかけると、すかさず店員がにこやかに近寄ってきた。

「何かお探しでしょうか?」

「あの、ウィンドウに飾っているセーターと同じものは……」

「あのセータ−ですか? こちらにございますが」

 指し示された棚を見て、藤見の顔がほっと安心したように綻ぶ。

「よかった、まだあった」

 あの時見た、同じ色のセーターを手に取る。

 やっぱり綺麗な色……

 深みのあるグリーンが落ち着いた雰囲気をかもし出している。

「お客様でしたらそちらの色よりこちらのもっと明るい色の方がお似合いかと………あら?

サイズがLしか………」

 藤見の様子を見ていた店員がオフホワイトの色のものを手に取り、顔を曇らせた。

「お客様はMサイズですわよね。申し訳ありません、もうサイズが……」

「い、いいんです。この色で………」

 薦めた色がもう品切れだということを詫びる店員に、藤見は慌てて首を振った。

 そして最初からの目的だったものを指し示す。

「これをいただけますか?」

「はい、ありがとうござ……あの、これもLサイズになりますが……」

「それでいいんです。包んでいただけますか?」

「承知いたしました」

 藤見の様子に、どうやらプレゼントらしいとわかった店員がニコニコと品物を包み始めた。

 藤見はそれをどこか面映い気持ちで見ていた。







「遅かったんだな」

 ドアを開けた途端、瀬名生が奥から出てきた。

「俺よりも早く出たんじゃあなかったか?」

 何かあったのか? と心配そうに目で尋ねてくる。

「すみません。ちょっと寄り道を……」

 藤見は靴を脱ぎながらそれに笑って答えた。

「ならいいが……買い物か? 服でも買ってきたのか?」

 瀬名生が藤見の持つ紙袋に目を留める。

「はい………貴方に」

「え?」

 廊下をダイニングへと向かっていた瀬名生が驚いた顔で振り返る。

「貴方に似合いそうだと思ったらどうしても欲しくなってしまって……」

「……俺に?」

 遠慮がちに手渡された袋に目を落とし、瀬名生は呆然とした。

 紙袋のロゴには見覚えがあった。それはあの日、藤見が立ち止まって覗いていた店の

もので、そして………袋の中から出てきたのは、あのセーターだった。

 藤見がいい色だと言っていた………

 じゃあ、あの時見ていたのは自分に似合うと思って……?

「あの、……お気に召しませんでしたか?」

 じっとセーターを見つめたまま、何も言わない瀬名生に、藤見が不安そうな声を出した。

「今ならまだ他のものと交換できると思うので、もし……」

「そうじゃないっ」

 手からセーターを取り上げようとした藤見に、瀬名生は慌てて首を振った。

 せっかくの贈り物を取り上げられまいとする。

「そうじゃないんだ。俺は芳留があの……」

 言いかけて口をつぐむ。

「貴士……さん?」

「来てくれ」

 藤見の腕を取り、居間へと連れて行った。

 ソファの上においてあった紙袋を取り上げ、藤見の手に押し付ける。

「これ……」

 藤見はその見覚えのあるロゴに目を見開いた。

 それは今、瀬名生に手渡した袋のロゴとまったく同じものだったのだ。

 入っていたのは同じデザインの……しかし、色がオフホワイトのセーターだった。

「貴士さん……」

 見ると、瀬名生が苦笑いを浮かべながらこちらを見ていた。

「芳留がそのセーターを見ていたことが気になって、つい、な……。色は俺の好みで選ばせて

もらったが………その色の方がお前に似合うと思って……」

 まったく、何て勘違いだ。

 そう苦笑する。

 最初は呆然としていた藤見も、クスクスと笑い出す。

 そして手にしたセーターを嬉しそうに胸に抱きしめた。

「でも、嬉しいです。大切にしますね」

 その言葉に瀬名生も自分の手にあるセーターを大事そうに撫でる。

「ああ、俺も大事に着させてもらうよ………本当にいい色だ」

 二人顔を見合わせてまた笑う。





 こうして二人のワードローブにそれぞれ新しい服が増えた。

 おそろいのセーターが。





                            END






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