君に降る雪のように 






「あ、いらっしゃい」

 
 扉を開けた途端、背の高い男からにこやかにそう言われて、笹部は硬直した。

 ………誰だ?

 どこかで会ったような気はするが、しかし思い出せない。

 会社で会ったのだろうか、それともどこかの店で? いやそれとも………。

 う〜ん、と考えていて、はっと我に返る。

 そうじゃない!

「き、君は誰だ? ここは信濃さんの………」

 言いかけて、不安そうな顔をした。

 ……もしかして、自分が部屋を間違えたのだろうか。

 慌てて扉を開けて表札を見る。

 ………………合ってる。

 また急いで部屋に入り、 玄関先に立っている男に向かった。

「君は一体誰だ? ここで何をしているっ」

 そう怒鳴って、またはっとした。

 もしかして、信濃の友達かもしれない。 だとすると、

「し、失礼しましたっ 信濃さんのお友達……でしょうか………?」

 面白そうに自分を見ている男に、笹部は最後は自信なさげにそう呟いた。

「………お友達……ですよね? そうですよね?」

 何だか嫌〜な予感がするが、それを振り払い再度尋ねる。

「友達……う〜ん、友達ねえ……違うと俺は思ってるけど」

 違うっ?!

 男の言葉に笹部は目を見開いた。

「違うって、じゃあどちら様ですか? っていうか、どうしてここにいるんですか? ……はっ

 まさか押し売りの人ですか? 信濃さん、またセールスの人を中に入れてしまったんですかっ」

 笹部は男を押しのけるようにして中に入ると、奥にいるはずの住人を目で探した。

 勢いのついたままリビングに入ると、ちょうど寝室から出てきたらしい信濃とばったり会った。

「あれ、笹部さん。 どうしたの、そんな慌てて……あ、原稿ならそこに……」

「信濃さんっ!」

 のほほんと話す信濃に、笹部は情けない表情を浮かべた。

「あの人は何ですかっ あれほどセールスの人を中にいれちゃだめだって言ったじゃないですかっ

先日も変な少年を拾ってきちゃったばっかりなのに……っ」

「………変な少年で悪かったな」

 笹部の後から部屋に入ってきた男がぼそりと呟いた。

「っ! まだいたんですかっ 君っ 何も買うつもりはありませんから、諦めてさっさと出て行って

くださいっ」

「笹部さん」

 何とか彼を追い出そうとする笹部に、信濃が苦笑した。

「笹部さん、 彼はセールスなんかじゃないよ。 だからそんなに怖い顔で追い出そうとしないで

くれないかな」

「……………は?」

 セールスじゃない?

 笹部の動きがぴたりと止まった。

 では彼は………?

 もう一度まじまじと男の顔を見た。

「嫌だなあ、笹部さん。 俺のこと忘れてしまった?」

「は?」

「俺、俺。 甲斐だって。 ほら」

「…………は?」

 甲斐? 甲斐……聞き覚えのある名前だ。 聞き覚えがあるどころかそれは…………。

「ば、馬鹿なことを言わないでくださいっ! 甲斐君はまだ少年ですよ。 そんな変な冗談で

僕をからかおうとしてもダメですからねっ」

「う〜ん、やっぱりダメかあ……」

 後ろで信濃が笑いながら言ったのが聞こえた。

「だから言っただろう、甲斐。 笹部さんが信じるはずないって」

「まあ、そう思ってはいたけどね。 一応」

 男は信濃の言葉に肩をすくめて答えた。

「まだそんな……信濃さん、いい加減彼が誰だか教えて………」

 はたと思いつく。

「わかったっ! 君、甲斐君のお兄さんだねっ そうだろうっ だから同じ甲斐君なんだっ!」

「……………は?」

「な〜んだ、だからここにいるのかあ。 信濃さんにお礼にでも言いにきたんだね。 でも肝心の

本人はどこにいるんだい?」

 そう言いながらきょろきょろと辺りを見回す。

「………すげえ……信濃さん。 笹部さん、自分で納得しちゃったぜ」

「まあ………それが妥当なところかな。話の筋としては」

「? 何を言っているんですか? 信濃さん。 甲斐君は今日は来ていないんですね。

お兄さんだけご挨拶に来たんですか」

 二人の話がわからない笹部は、首を傾げた。

 それを見て、信濃が何かを思いついたようににやりとした。

「笹部さん、笹部さん」

「はい?」

「彼ね。 甲斐のことでここに来たんじゃないよ。 実はね………」

 そう言いながら男を自分の元へと手で招いた。

「彼は俺の恋人」

「っ!」

「!!!!!!」

 言うなり、男の首を掴んでキスをした。

 笹部の口から声にならない絶叫が上がった。

 




「信濃さん、いい加減にしてくださいよ〜。 突然少年を拾ってきたと思ったら、今度は男の人を

恋人だって…………そんなに僕をからかって楽しいですか。 ストレスで僕の胃に穴開けたいん

ですか、僕を殺したいんですか〜」

 ショックから立ち直った笹部は、シクシクと泣き真似までして信濃に訴えた。

 しかし信濃はにこにこと笑うばかり、甲斐はお茶を淹れると、キッチンに入ったきりだ。

「そう言われても、別に嘘言ってないし」

「嘘じゃないって、だったら何ですかっ」

「だから恋人だって言ってるじゃない」

「信濃さん〜 だから僕をからかわないでください〜」

 どうしても甲斐を恋人だと認めたくないらしい。 いや、彼の中ではそれは考えの及びもしない

ことなのだろう。

「そんな嘘でからかわれるくらいなら、彼が実は甲斐君がいきなり大きくなった姿だって言われた

方がよっぽどいいですよ〜」

「あ、それも本当だから」

「…………信濃さん……」

 胡乱な目で笹部は目の前の自分の担当作家を見た。

「僕、今までそんなに信濃さんを嫌な目に合わせてきました? 原稿原稿ってうるさすぎました?

だったら言ってください。こちらも考慮しますから。 ……あ、でも今回の原稿は別ですよ」

 そうだ、原稿だっ!

 笹部は自分がここに来た理由をようやく思い出した。

「し、信濃さんっ 原稿っ 原稿できてますか? うわ〜っ もうこんな時間だっ 早く社に戻って

印刷所に………」

「原稿ならそこにあるってさっき言っただろう」

 信濃の言葉に慌てて立ち上がると、テーブルの上に用意されていた封筒をがしっと掴む。

 そしてそのまま玄関へとばたばた歩いていった。

 と、また戻ってきた。

「いいですか、信濃さん。 あの人とお友達だというのはわかりましたから、でも遊ぶのはほどほど

にしてくださいよ。 原稿はちゃんと書いてくださいねっ それからまた甲斐君をここに住まわせよう

なんて考えないでくださいね。 ちゃんとあんなお兄さんがいるなら大丈夫じゃないですか。また

ここに連れてなんてこないでくださいよ」

 そう言うと、玄関にあたふたと歩いていき、今度こそそのまま出て行った。

「………結局、全然信じてないってことだね」

 というか、人の話聞いてないし。

 笹部の消えた廊下を見ながら、信濃は苦笑交じりに呟いた。

「まあ、仕方ないよな」

 キッチンからお茶のトレイを持って出てきた甲斐が、マグカップを信濃に手渡しながら言った。

「笹部さんじゃなくても信じないだろうさ。こんな話」

「それにしても、お前は俺の恋人ってことくらいは信じてくれてもいいと思わないか?」

「ま、突然だったから」

 甲斐はそう肩をすくめた。そして、

「それにしても、笹部さん、 相変わらずのキャラクターだよなあ」

 くすくす笑いながら言った。
 
「当たり前だろ。 こっちではあれからまだ一ヶ月も経ってないんだから」

「そうだよな。 うん、あの頃はなんかうるさいおじさんだと思ったけど、今会うと何というか……

こう……面白いよな。 からかい甲斐がありそうっていうか……」

「だろ?」

 信濃がいたずらっぽい目で甲斐を見る。

 その瞬間、笹部は二人のおもちゃに決定した。




 そのことを知らないのは、本人ばかり。













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