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「ジェフリー!」

 玄関を出て行こうとしたジェフリーは、自分を呼ぶ父の声に顔を顰めた。

 あの嬉々とした声の時にはろくなことがないと、経験上わかっている。

 ……無視しよう、無視。 今日は大事なデートの日だ。前からずっと誘いをかけていた

ハイスクールでも人気の女の子からやっといい返事をもらえたのだ。

 初デートに遅れるわけにはいかない。

 とりあえず、映画だろう。それからランチして………。

 父の声を聞かなかったことにしてそのまま出て行こうとしたが、そう上手くはいかなかった。

「ジェフリー! 何している! ダディの会心の作だぞ。この間の日本へ行った時のビデオだっ 

ああ、なんて可愛いんだっ」

 ………可愛い?

 ジェフリーの足がぴたりと止まる。

 先週まで父が日本へ行っていたことは知っている。 ニホンブヨーというものをしている

友人を訪ねてのことだとも。

 だが、それと父の言葉とどう繋がるのだろうか。 可愛い? 何が? ニホンブヨーというのは

何か可愛いものなのだろうか。 ???????

 …………まだ時間はあるし、いいか。

 好奇心にかられたジェフリーは、ひょこひょこと父のいるリビングへと向かった。

 部屋に入った途端、ジェフリーの目に入ったのは………。

「…………」

 画面に映る華やかな見慣れぬ異国の衣装を着た少女の姿に、ジェフリーは釘付けになった。

 舞台らしき場所で、一人の少女が軽やかに踊っていた。

 それはジェフリーにはよくわからない踊りだったが。

「どうだ、いいだろう。この間の「ニチブ」の公演を父さんが自分でビデオを撮ったんだぞ。

よく撮れているだろう」

 プロに負けないぞ。

 自慢そうに言う父に、しかしジェフリーの注意は違うところにあった。

「ニチブ?」

 聞いたことのない言葉。 この踊りが「ニチブ」というものなのだろうか。 それとも場所の

ことを言っているのだろうか。

「ニチブは日本舞踊を略した言葉だよ。 日本舞踊は日本の伝統的な踊りのことだ」

「ニチブ……ニホンブヨー………」

 なるほど、日本の伝統か。

 納得しながら、それよりもジェフリーはビデオに映る少女のことが気になって仕方がなかった。

「ダディ、この少女は?」

「ん?」

 少女? と他のテープをごそごそしていたジェフリーの父は画面に目を戻した。

「少女……ああっ! 彼は私がお世話になった友人の小須賀さんの息子の一人で………

名は何と言ったかな? う〜ん………」

「彼? ……息子っ?!」

「そうだ、このキモノは確か三番目のものだから、名は…・・・そうそう、優生君だっ」

「ダディッ! 息子って、まさか男?!」

「なんだ、女の子だと思っていたのか」

 驚くジェフリーに、わははと豪快に笑う。

「どう見ても女の子にしか見えないだろうっ」

「日本では伝統を持つものは主に男のものらしい。サドーにしろカブキにしろ、イエモトは

男性だ。最近は女性も多くなってきたというがな」

 父の話す言葉の半分は知らない言葉だったが、ジェフリーにとってそんなことは今は

どうでもよかった。

「男……男……こんなに可愛いのに……」

 ショックだ………。

 呆然と画面を見つめる。

 自分で不思議なほどショックだった。

「どうした、そんなにがっかりして。さては惚れたのか?」

 無理もないな。こんなに可愛いんだから。

 そう言いながら自分画面にうっとり魅入る父の言葉が、ジェフリーの胸にぐっさり突き刺さった。

 ……惚れた?

「惚れた……惚れた? 俺が?」

 まさかと思いながら、もう一度画面の中の少女…いや、少年を見る。

 ちょうどポーズをとっているのか、首をかしげこちらを見ていた。

 濡れたような黒い瞳が自分を見つめている。

 ズキン、と胸が高鳴った。一瞬で頭が真っ白になった。

「…………ダディ……」

「ん?」

 生返事をする父に、ジェフリーはぼんやりと呟いた。

「ダディ。 ごめん、俺今からゲイになる」

「……はあ?」

「俺、やっぱりこの子に惚れたみたいだ。 日本に行って、彼を捕まえてくるっ」

「はあああっ?!」

 突然の息子の爆弾発言に、父親は唖然とした顔で息子を見た。

「ゲ、ゲイ? ってジェフリー、お前……」

 何を馬鹿なことを、と言いかける父に、

「ダディだっていいんじゃないのか? うちにこんな可愛い子が来るんだぜ。ダディの好きな

日本のヤマトナデシコだ。 そこらの気の強い怖い女よりもずっと可愛いぞ」

「ヤ、ヤマトナデシコ………」

 ぴたりと父の手が止まる。

「そうだよ。毎日こんな可愛い娘を見ていられるんだぜ。 それも息子の嫁さんだ」

「毎日……嫁…ということは私の娘……」

 うっとりと妄想に突入してしまった父親の頭の中には、すでに相手が男の子だという事実は

どうでもいいことになっているようだった。

「………娘になれば毎日こんな可愛い格好で私のために踊ってくれるということか」

「それどころか、ダディって呼んでくれるはずだぜ。 なんたって娘だ」

 「ダディ……こんな可愛い子が私をダディ……」

 もはや暴走した妄想に頬は緩んでしまっている。

「よし、わかった。お前がゲイになることを許そう。ただし、必ずこの子を捕まえるんだぞ。

そして私をダディと呼ばせるんだ」

 父と息子の間でとんでもない約束が交わされた。

 が、その根本的なところが間違っていることに、二人は気づいていなかった。

 ジェフリーの一目惚れの相手、その名が優生ではなく恭生だったことに。



 結局、ジェフリーはこの日、デートの約束があったこと綺麗さっぱり忘れ果て、ひたすら父と共に

ビデオ鑑賞に励む一日となった。

 約束をすっぽかされ怒り狂った女性によって頬を張り飛ばされることになるのは後日のこと。



「ダディか……ふふふ……いいなあ。 この姿で玄関に出迎えてもらったり、一緒に出かけたり」

「どんな声してるんだろうなあ……きっと可愛い声なんだろうなあ。 小さくて可愛い唇。

キスにちょうどいいなあ。 キスしたら恥ずかしそうな顔をするんだろうなあ……やっぱり。

ううう、可愛い……っ」

「ダディ、いってらっしゃい、って頬にチュってキスしてくれたり。 ふふ……」

「細くて綺麗な首だな。いい匂いしてるんだろうなあ」

 親子の妄想はさらに暴走していくのだった。





 …………ああ、似た者親子。















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