Labyrinth 「あの……大丈夫?」 心配そうな声に、エリックは痛みを堪えながら顔を上げた。 そこにいたのは十歳前後の少年だった。 心配そうに身を屈め、エリックを覗き込んでいる。 「大丈夫? 怪我、してるんでしょ? 血が出てる」 「放っておいてくれ」 血に染まる左腕を右手で押さえながら、エリックは素っ気なく言った。 突然声をかけてきた見知らぬ少年にかまっている時間はない。 それよりも、家来達は一体どこにいるのか。 だんだんと痛みが増してきたように思う腕を抱えながら、エリックはどうしようかと考えていた。 予想もしていなかった。 こんなことになるなんて。 いつものように二人だけ家来を連れて、忍びで街に出てきた。 ただ街の様子を見て、ぶらぶらと 歩きたかっただけだ。 それが、立ち寄った酒場で突然始まった喧嘩に巻き込まれ、一人の男が取り出したナイフに 腕を切られてしまったのだ。 大騒ぎになった酒場から何とか出ようとした時に家来達ともはぐれてしまい、気がつけば こんな路地裏に座り込んでいた。ここがどこなのかもわからない。 城に何とか帰るにしても、まずこの傷の手当てをしたい。 一向に血の止まる様子を見せない傷は焼けつくように痛み、エリックを苦しめる。 「あの、早く傷の手当てをしなきゃ。どうしよう……」 少年がまた声をかけてきた。 まだいたのかと、エリックはもう一度拒絶の言葉を口にしようとした。 が、少年はそれよりも早く 言葉を続けた。 「そうだっ 俺、家に戻って薬持ってくるっ 待ってて!」 「あ、おいっ!」 エリックが止める間もなく、少年はぱっと身を翻すと駆け出していった。 十数分後、少年は両手にいっぱいの荷物を抱えて戻ってきた。 「ごめん、遅くなっちゃった。 お薬切れててお隣のおばさんにもらわなきゃいけなかったんだ。 でもこの薬、とってもよく効くって。大丈夫だよ」 言うなり、少年はエリックの側にしゃがみこむと、布を水に濡らし、血に汚れた左腕にあてようと した。 が、エリックはさっと腕を少年から離した。 「何をする」 「何って、傷の手当てをしなきゃ」 エリックの鋭い声に、少年はきょとんとして答えた。 「放っておいてくれと言っただろう。 余計なことはするな」 「だって、そんなひどい傷、放っておいたらだめだよ。 ちゃんと手当てしなきゃ」 言いながら少年はもう一度手を伸ばした。 「だからやめろと言っている」 「どうして?」 再度手を振り払われ、少年はさすがにむっとした顔をした。 「どうして傷の手当てをしちゃいけないの?」 「どうしてって……」 反対に少年に咎められ、エリックは答えに窮した。 「し、知らない者に手当てを受けるなど………」 「何それ」 ぼそりと言った言葉に、少年は呆れた声を出した。 「俺が知らない人間だから手当てしちゃいけないって言うの? 俺が何かするって思ってるの? 変なこと言わないでよ。ただ手当てするって言ってるだけじゃない。親切は素直に受けるものだよ」 「それは……」 腰に手をあて、怒るように言う少年に、エリックは返す言葉がなかった。 確かに自分の態度は悪かった。 頭から少年を怪しい者と決めつけてしまっていた。 「……悪かった」 気がつくと、謝っていた。 今まで誰にも謝ったことがないというのに、するりと口から零れ出た 言葉に、エリック自身驚いていた。 少年はエリックの言葉を聞くと、満足そうに笑ってまた手当てに取りかかった。 今度はエリックもそれを止めなかった。 「はい、これでいいよ。 すぐに痛くなくなるからね」 よしよしと薬を縫った布を巻きつけた左腕を撫でる。 まるで自分より年下の子供を相手するようなその仕草に、エリックの口に苦笑が浮かんだ。 「ありがとう、礼を言う。 おかげで痛みが少し治まったようだ」 「ほんと? よかった」 にこにこと笑う少年に、エリックもつられるように笑っていた。 いつのまにか、最初の警戒心はなくなっていた。 警戒の目を解いて見れば、少年はとても可愛らしい容姿をしていた。 きらきらと光る金色の髪に、晴れた空と同じ青い瞳。 エリックはふわりと少年の顔を縁取る髪に手を伸ばした。 「綺麗な髪だ」 「お兄ちゃんも綺麗な髪だよ。 金色に光ってる」 「そうだな」 無邪気な少年の言葉に、エリックの顔にまた笑みが浮かんだ。 お兄ちゃん。 そんな言葉で呼ばれたことがなかった。 周りにいる人間は皆自分に対して一歩下がった目でしか見ていない。 その目にあるのは 親しみではなく諂いと打算、それしか浮かんでいない。 お兄ちゃん、と、少年に呼ばれたその言葉は、エリックにはとても温かく感じられた。 もっと、この少年のことが知りたいと思った。 「………エリックだ。 私の名はエリックという」 気がつけば、そう言っていた。 教えた名は本名ではなく、親しいものにだけ許した愛称。 「エリック?」 少年がたった今教えたばかりの名を口にする。 「そうだ」 少年の口で紡がれた自分の名はとても甘く優しく聞こえた。 胸のうちに温かい何かが生まれるのを感じた。 「俺はアディっていうんだよ」 「アディ………」 少年の名を口にする。 それはとても甘い響きを持っているようだった。 「アディ……アディ……」 確かめるように何度も繰り返すエリックに、少年…アディが何だ、と首を傾げる。 「アディ………また、ここで会ってくれるか?」 「うん、いいよ」 アディが無邪気に頷く。 エリックの顔に、柔らかな笑みが浮かんだ。 それがエリックとアディの初めての出会いだった。 |