虜 〜 おまけ話 〜
「ガイ、見ていろ。お前が見たこともないほどの大きな魚を釣ってみせるからな」 ユリアスは得意そうにそう言うと、釣竿を海へと投げ入れた。 「この間、私が釣った魚をお前に見せてやりたかったぞ。本当に大きな魚だったんだ。こ〜んなに大きくて、とても重かったんだ。 それを私が釣ったんだぞ。……少しはヒューイに手伝ってもらったがな」 両手を大きく広げ、大きさを示すユリアスに、ガイは素直に驚いて見せた。 「本当にそんなに大きな魚がいたのですか? それをユリアス様が? すごいです。是非拝見したかったです!」 「今日も絶対釣ってやるからな」 感心してみせる従者に、ユリアスは意気揚々と告げた。そして、再びこの船へと戻ることが出来て一番にしたかったことが、この釣り だったガイを連れて、甲板から釣り糸を垂らす。 と、 「ユリアス、ユリア………なんだ、こんなところで。釣りか?」 そこへユリアスを探してヒューイがやってきた。 釣竿を持つユリアスを見て、眉を上げてみせる。 「ああ、今日も大きいものを釣ってみせるぞ」 「………はりきっているところ悪いが、今は無理だぞ」 「何故だ!」 せっかく大物をと意気込んでいるところに水を差され、ユリアスはむっとした。 「今、この船は航行中だ。これだけの早さだと、魚が竿に食いつかない。食いつくとしたら、とんでもなく大きな魚…… お前にはとても手に負えないものだ」 「無礼なことを言うな! どうして私には手に負えないのだ! そのようなもの、この私が見事釣ってみせるぞ」 「ユリアス様、さすがです」 胸を張って宣言するユリアスに、ガイが感無量といった顔で頷く。 「………お前ら……」 ヒューイは呆れたように首を振った。 「船荷も満足に運べないようなその細腕じゃあ骨を折っちまうぞ。海の中の魚の力を甘くみるな」 「骨……折る……」 ヒューイの言葉に、ユリアスは表情を変えて自分の腕を見下ろした。 「………折れるのか?」 「ああ、ぽっきりとな」 「………」 「ユリアス様……おやめください。そのような、骨を折ってしまうような……」 ガイが真っ青になって首を振った。 ユリアスも黙ってしまう。 「ほら、またいいときに船を止めて俺が付き合ってやるから、今日はやめておけ。な?」 「いやだ。船を止めろ」 「は?」 首を振って拒否を示すユリアスに、ヒューイは思わず聞き返した。 「船を止めれば、ちゃんと釣りができるのだろう? 船を今すぐ止めろ」 「ユリアス………」 がっくりと肩を落としてしまう。 「おい、無茶を言うな。今日はそんなヒマはないんだ。今日できるだけ進まないと予定の日までに国に戻れない………」 「少しの間だけだ。私が魚を釣ればすぐに船を動かせばいい」 「そんな、簡単に釣れると思うか」 「釣れる!」 断言するユリアスに、ヒューイははあっとため息をついた。 「あのな、王子様」 「うわっ 何をする!」 ひょいと腕に抱え上げられ、釣竿を持たない手で慌てて恋人の首にしがみ付く。 「ヒューイ!」 「ああ、静かにしろって。……ユリアス、釣りはまた今度だ。今度ゆっくりとな」 「いやだ。今日したいのだ」 言い聞かせるように説得するヒューイに、ユリアスは頑固に首を振る。 「ユリアス……」 「ヒューイ……お願いだ。私は釣りがしたい」 うんと言ってくれない恋人に、ユリアスは手を変え、今度はねだるように頼む。 「頼む、船をちょっとだけ、止めてくれ?」 首をかしげて可愛く頼む恋人に、ヒューイの顔がでれっと崩れた。 「………仕方ないな。……少しだけだぞ?」 「うん! ありがとう!」 ユリアスは満面の笑みを浮かべ、目の前の唇にちゅっとお礼のキスを送った。 ヒューイの顔が完全に崩れたことは言うまでもない。 所詮、男は可愛い恋人の可愛いお願いには弱いのだ。 「…………釣れませんねえ、ユリアス様」 「もう少しだ。もう少しで釣れるぞ」 はるか下の海面を覗き込み、二人は釣竿の先を見つめていた。 糸はぴくりとも動かない。 「……もう今日はだめなのでは?」 「そんなことない! 絶対に釣れる!」 諦めては? と言うガイにユリアスは頑固に首を振った。 絶対に釣って見せるのだ。 固い決意のもと、ひたすら獲物がかかるのを待つ。 と、 いきなり釣り糸が大きく引っ張られた。 「来た! 来たぞ!」 「ユリアス様!」 ぐいぐいと引っ張る感触に、ユリアスは興奮した叫び声をあげた。 「すごいぞ! 大きいぞ、これは!」 力強い引きに、大物の予感がした。 しばらくの格闘ののち、ユリアスは獲物を海から引き出すことに成功した。 えいっと釣り竿を力いっぱい引き上げ、甲板へと放る。 が、 「わあっ!」 「きゃあっ!」 ぶらりとぶら下がった獲物の姿に、二人の口から悲鳴が上がった。 それは今まで見たこともない、不気味な生き物だった。 「なんだ! これは……っ」 「ユ、ユリアス様! 足みたいなものがたくさん……きゃあっ! 動いてる! 気味が悪いです!」 ユリアスはあまりのグロテスクさに、竿を放り出して後じさった。 「こ、これは……噂に聞く海の魔物じゃあないかっ?」 「ま、魔物……っ」 ユリアスの言葉にガイがひっと悲鳴を上げる。 二人の目の前では、細長い足が何本もうごうごとうごめいている。 半透明の体が薄気味悪い。 「ユリアス様、ど、どうしましょう……」 「どうしようって……魔物をこの船に置いておくわけには……。 でも下手に触って呪われでもしたら……」 「呪われるっ?」 ガイがまた悲鳴を上げた。 どうしよう、と二人真っ青になって顔を見合わせる。 と、そこへ…… 「ん? 何だ、二人変な顔をして……釣れたのか?」 そろそろ船を動かそうと、知らせに来たヒューイに、 「ヒュ、ヒューイ! 大変だ! 大変なものを釣ってしまった!」 ユリアスは助けてくれと、男に駆け寄った。 「? どうした?」 しがみ付く恋人の頭を反射的によしよしと撫でながら、何事かと訪ねる。 「あ、あれ……っ!」 魔物だ、と、震える指で示された方を見て、ヒューイは一瞬目を丸くし、次には大きく破顔した。 「ああ……へえ、すごいな。いいものを釣ったじゃないか」 「っ! いいものって……どうすればいい、あんな気味の悪いものを釣ってしまった!」 予想外の反応に、ユリアスは困惑げにヒューイを見上げた。 「そりゃあ、食うのが一番だろう」 「食うっ? 食うって……………食べるのかっ!」 真っ青になって顔を引きつらせる。 「ああ、美味いぞ」 ヒューイはそう言うと、さっさと獲物に近寄って手で掴み上げた。 「ひっ」 「ヒューイっ!」 ユリアスとガイはうねうねとヒューイの腕に巻きつく足に背筋がぞっとする心地だった。 「早速焼いて食おうぜ。獲れたて新鮮が一番だからな。おいっ!」 声をかけると、近くにいた部下の一人がバタバタとどこかに走っていく。と、すぐに戻ってきた。 その手には金属のバケツがあった。 中には炭が入っていて火が熾っていた。 ヒューイは腰に下げていた短剣で器用にそれを捌いていく。 「うわっ! 血が黒いぞ! やっぱり魔物だ!」 「これは血じゃあない。墨だ」 どろりと出てきた黒い液体に、また悲鳴を上げたユリアスに、ヒューイが苦笑しながら説明する。 「これはイカといって、海の生き物の一種だ。焼いたり揚げたりしたら最高に美味いんだ」 「イカ………」 初めて聞く名にユリアスとガイは顔を見合わせた。 「…………魔物じゃあないのか?」 「まさか」 笑いながら、ヒューイは適当な大きさに切った身に墨を塗りつけて短剣に刺すと、火にかざした。 みるみるいい匂いが辺りにただよう。 ほら、と差し出された身をおそるおそる口にしたユリアスとガイは、次の瞬間その美味しさに夢中になっていた。 すっかり魔物呼ばわりしたことを忘れ果てて。 そして、次の日から、今度はイカ釣りに精を出す二人の姿があった。 |