ベイビー ・ マム
「恭せんせー、
さよーならー」 「気をつけて帰れよ。」 いつものように稽古にくる女の子達の相手を少しだけして、 恭生は彼女達が帰るのを 見送った。 「ふう……」 一息つきながら肩をこきこき鳴らしていると、 ドンと足元に何かがぶつかった。 「?」 何だと思って見下ろすと、 よちよち歩きの小さな男の子がにこにこと恭生を見上げていた。 「あれ、 どっから来たんだ?」 しゃがみこんで男の子と目線を合わす。 くりくりとした目の可愛らしい子供だ。 「坊や、 どこの子だ?」 あまりの可愛いさに思わず抱き上げてしまう。 男の子は嬉しいのかきゃっきゃっと笑い声を上げた。 そして恭生の首にぎゅっとしがみついて言った。 「ママ〜」 「いっ?!」 とんでもない言葉を聞いた気がする。 自分の聞き間違いかと思い、 まじまじと子供の顔を見る。 と、 「ママ!」 今度は聞き間違いではなかった。 「……あのな、 俺はお前のママじゃないぞ。」 この顔のどこがママだ? 顔をしかめてそう言うが、 子供は嬉しそうに恭生にしがみつくだけだ。 「……とにかくこの子の親を探そう。」 諦めて恭生は子供の親を探す事にした。 おそらく家に来ている客か門下の生徒の子供なのだろう。 恭生は子供を抱きかかえたまま家の奥へと歩いていった。
奥へと歩いていくと、 途中でジェフリーが恭生を見つけて近寄ってきた。 「あれ? その子は?」 恭生の腕の中にいる子供を見て、 驚いたように聞く。 「さっき玄関のところで見つけたんだ。 多分うちに来ている客の子供だと思うんだけど……。 誰かに訊ねようと思ってさ。」 「ふ〜ん」 ジェフリーはまじまじと子供の顔を見ると、 顔を綻ばせた。 「可愛い子だな。」 そう言って手を伸ばして頭をなでようとした。 途端、 「やーママーっ うわーんっ!」 ジェフリーの見なれない髪と目の色に怯えたのか、 子供はぎゅっと恭生にしがみついて 泣き出してしまった。 「うわっ」 「大丈夫、 怖くないよ。」 あわててあやすが、 子供は恭生の胸に顔をうずめたままいやいやと首を振る。 「……ママ?」 その様子を見て、 ジェフリーが不思議そうにつぶやいた。 「まさか……恭生、 君の……?」 「ばかっ 何言ってんだよ。」 とんでもないことを言い出すジェフリーに、 恭生は真っ赤になって怒鳴った。 その声に驚いて、 子供がまた泣き出す。 「あ……と悪い、 なんでもないよ。 いい子だな。 ほら、 泣き止もうな。」 「……やっぱり恭生、 母親のようだ。」 ジェフリーがそうつぶやく。 「いいかげんにしろよ。 俺のどこが母親に見える。」 まだバカなことをつぶやく恋人に、 恭生は疲れを覚える。 「あれ、 その子……」 そこへ逸生が現われて、 恭生に抱かれた子供を驚いたように見た。 「あ、 兄さん。 この子知ってるの?」 「あ? ああ……今父さんと話しているお客さんの……・」 「パパっ」 言いかけた言葉を遮るように、 子供が逸生の姿を見て叫んだ。 「いっ?」 「え?」 驚いた顔で子供を見る3人を尻目に、 子供はにこにこと逸生に手を伸ばした。 「パパ、 だっこ!」 これにはさすがの逸生も絶句している。 「……恭生がママで逸生がパパ……」 恭生の隣でジェフリーが呆然とした顔でぶつぶつと何かつぶやいていた。 「と、 とりあえずその子、 親の所に連れていこうか。」 何とか気を取りなおした逸生が引きつった笑みを浮かべて言う。 恭生から子供を引き取った彼は、 複雑そうな顔をしたまま奥へと消えていった。 「ひどいなあ、 僕はまだそんな年じゃないよ。 聞いてる?」 そう子供に言い聞かせている声がかすかに聞こえてきた。
恭生は二人の姿が奥に消えると、 はあっとため息をついた。 「ああそうだ。 ジェフリー、 出かける約束してたっけ。 用意……ジェフリー?」 傍らの恋人を見上げ、 その様子が変なことに気付く。 「どうした?」 「……どうして逸生がパパなんだ?」 「は?」 いきなりそう言われて目が点になる。 見るとジェフリーの目が据わっている。 「お前……目が据わってんぞ。」 「恭生がママなら、 パパは俺だろうっ」 「ばっ……!」 ジェフリーの断言に恭生は絶句した。 「何バカなこと言ってんだっ 子供の言葉に真剣になるなっ」 「バカなこと? 違うね、 これは大切なことだよ。 だって君と恋人なのは逸生じゃなくて この俺なんだから。 どんな場合でも恭生が他の誰かと一緒にされるなんて我慢できない。」 「……だから子供の……」 言いながらあまりのバカバカしさに力が抜ける。 「これは訂正させないといけないな。」 「あっ おい! どこ行くんだ。」 目を据わらせたまま、 ジェフリーが逸生達の消えていった奥へとずかずか歩いていく。 あわてて恭生が後を追った。 なんとジェフリーはあの子供がいる部屋を見つけると、 怯えて泣き叫ぶ子供を必死に あやしながら、 何とか自分を ”パパ” と呼ばせようとしたのだ。 まわりにいる恭生の父と子供の親である客が、 その光景を唖然と見ている。 部屋の外では、 逸生が背中を丸めて必死に笑いをこらえていた。 「……あの阿呆…………………………」 恭生は恥ずかしさと情けなさに、 本当に自分はこんな奴が好きなのかと自分の趣味の 悪さをしみじみと実感した。
黙りこくる恭生の冷ややかな眼差しだけだった。
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